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サキヒットベー♪
 このブログは、昭和36年3月に宮崎県小林市の中学校を卒業した、同級生146名の近況報告をはじめ、同級生同士の情報交換や同窓会開催連絡、昔の思い出などを語り合うためのものです。総ての記事は同級生からの投稿で運営していきます。ブログ記事の文字を大きく表示して見易い画面フォーマットに変更しました。パソコン画面を横に広げると、ブログ記事も横方向に広がり、1行当りの文字数が増えて読み易くなります。【平成27年3月23日】


Ⅲ【何とかならないか】
あの幼い頃、一日中遊び回った干潟は消えてしまうのか。
くそ~~!!悔しさの余り足元のゴミを蹴飛ばした。
やり場の無い憤りがこみ上げてきた。
 
その時、
「おやっ?」足元に目を留めた。
「何か動いたぞ?」
腰をかがめて見た。
それは小さな蟹であった。
捕まえようとした手から逃げるように隠れて行った。
「あっ!干潟は生きている!」
絶望の淵に見た希望の生き物の姿だった。
「干潟は生きている!このゴミを取り除いたら何とかなるかもしれない」
小さな蟹が希望の灯火となった。
「このゴミをなくしてやる!!」
彼はゴミを拾うことを決意する。
 
広大な干潟である。
40ヘクタールという広さで、東京ドーム9個分もあるという。
その広さのゴミの山を一人で拾おうというのだ、気の遠くなるような仕事である。
長靴も手袋も作業着もゴミ袋一つにしても自前である。
自宅からバイクで30分の距離の所であった。
 
大概の人は広大なゴミの山を見ただけで「無理!」「機械がないと・・」「誰か他にする人がいなければ絶対無理!」などと、最初ッからそっぽを向くはずである。
しかし彼の決意は強かった。

Ⅳ【挑戦の始まり】
コツコツと一人だけのゴミ拾いが始まった。
「ゴミが無くなれば何とかなるかもしれない」とその一念で毎日毎日、新聞配達と干潟のゴミ拾いの往復に明け暮れた。
2~3年でケリがつくだろうと考えていたゴミ拾いは2年経っても3年経っても目途はつかない。
何とかしなければ・・・埋められてしまう。
環境自然保護団体にも参加して干潟の存続を訴えた。
 
しかし、風向きによると悪臭が立ち込めるため、住民の多くが埋め立てに賛成している。行政に働きかけても「住民も早く埋め立てて欲しいとの要望が出ている」と言って取り合ってもくれない。
 そのうえ集めたゴミも回収はされなかったのである。
その理由は「谷津干潟は大蔵省の管轄だから回収は出来ない」という。
大蔵省に掛け合った。
「ゴミは習志野市の住民が投棄したものだから、それを土地の持ち主が引き取れと言うのは筋違いだ」と双方からゴミの引取りを拒否された。仕方なく自宅に持ち帰り、家庭ごみとして出すより他無かった。
【H・靖子】
 
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