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サキヒットベー♪
 このブログは、昭和36年3月に宮崎県小林市の中学校を卒業した、同級生146名の近況報告をはじめ、同級生同士の情報交換や同窓会開催連絡、昔の思い出などを語り合うためのものです。総ての記事は同級生からの投稿で運営していきます。ブログ記事の文字を大きく表示して見易い画面フォーマットに変更しました。パソコン画面を横に広げると、ブログ記事も横方向に広がり、1行当りの文字数が増えて読み易くなります。【平成27年3月23日】




人は「オギャー!」と生まれ落ちた瞬間に、その人の人生は定められているという。
先に生まれた者が後から生まれてくる者の面倒をみて、やがて順送りとなって年下の者が年上の者を看取っていく......というのが自然の節理である。
ところが『天』は、突如として人の命を弄ぶかのように簡単に奪い去ってしまう。
こればかりは人間の力ではどうすることも出来ない.....これこそが天寿・天命なのかもしれない。

弟が逝ってしまった。1月27日。肝臓癌。63歳。あまりにも若すぎる生涯であった。
弟は、私と同じ新日鉄名古屋に18歳から勤め、60歳定年後も1年ほど延長して働いていた。
61歳半で仕事を辞めて、『これから第2の人生を楽しもう』としていた矢先に『肝臓癌』が見つかった。
『物言わぬ臓器』と言われる肝臓は、痛くも痒くもなかったそうだ。
これが発見を遅らせた原因でもある。

『癌宣告』を受けてからの弟は、一人娘の休日に合わせて親娘3人で温泉旅行や観光地巡りを始めた。
「身体が動けるうちに、運転ができるうちに.....」と、この世の思い出作りに頑張っていた。
多分、この時『余命宣告』を受けていたのかも知れない。

弟は放射線治療をはじめ、ありとあらゆる治療を行った。
『抗癌剤』によって毛髪は総て抜け落ちてしまったが、1ケ月ほどでふさふさした黒髪が生えてきた。
私の白髪頭をみて、生えそろった自分の黒髪をジョークを交えながら自慢していた。
あたかも、癌を克服したかのような錯覚さえ感じさせてくれたのだが、この頃から体力や筋力が急激に衰えはじめていた。
日本が世界に誇る最先端の医療技術を駆使しても、弟の癌の進行を食い止めることは出来なかった。

12月中旬の朝8時半、滅多に鳴らない私の携帯電話が鳴っている。
発信元は弟の携帯である。
電話は義妹からで、病院に行こうとしたが弟が運転できない。タクシーを呼んでも捕まらない。病院まで送ってくれないか?と言う電話だった。
否も応もない。勿論である。
急いで車で迎えに行くと、一人では歩けない状態になっていた。
病院に送り届け、そのまま入院となってしまった。
この時から、食べ物を受け付けなくなり始めていたようだ。

最近は患者本人や家族の意志によって、『最期は自宅の畳の上で.....』という自宅療養の選択肢があるようだ。
弟は自宅療養を選択し、正月が明けた1月4日に退院した。開業医が往診してくれることになった。
自宅療養となってからは、親娘3人水入らずで今まで以上に楽しそうに暮らしていた。
親娘3人での最後の生活を邪魔してはならないと思い、1週間に1回の間隔で弟の顔を見に行くことにしていた。

最後に顔を見たのは、亡くなる1週間前(20日)であった。
この日は自分で伝い歩きしながらトイレにも行っていたので、まだ大丈夫だろうと思っていた。
その日の帰り際に、痩せ細った弟の右手を握って「また来るからな 頑張れよ!」と言ったところ、病人とは思えないほどの力で握り返してきた。
この時「大丈夫だ、あとのことは俺に任せろ!....」と言おうとしたが、これは病人には禁句である。その言葉は呑み込んだ。
きっと弟も同じことを言いたかったのだと思う。
儚くもこれが最後に交わした無言の会話となってしまった。
残念であるが仕方がない。

弟は物が食べられなくなり始めたころから、一人娘の写真を胸のポケットに忍ばせて、痛みや苦しみに襲われる度に胸のポケットを撫で摩りながら耐えていたという。
「痛い」とか「苦しい」と言ったことは一度もなかったようだ。
妻と一人娘を残したまま、逝かなければならいという、悲しさや無念さは筆舌に尽くし難く、私には推し量ることは出来ない....。
さぞかし苦しかったであろう、悲しかったであろう、心残りであったであろうことを、思うと今でも込み上げてくるものがある。

人間、この世に生を受けた以上、これだけは避けて通れない道である。
弟の死を悔んで何時までも、くよくよしていても始まらない。
今月16日には喪が明ける。
昨年12月初めからゴルフを謹慎してきたが、今月20日の月例競技から復活することにしている。
僅かに残された我が人生、弟の分まで謳歌しようと考えている。
人生まさに『塞翁が馬』である。

弟は亡くなる1~2日前から、故郷・野尻の山やその当時の友達のこと等を話していたという。
人生の最期は子供に還ると言うが、やっぱり故郷の山々が恋しくなるようだ。
私はもう一度、生きてるうちに故郷の山々を眺めたいと思っている。【K-正人】

【写真】通夜を待つ弟の祭壇。提灯に描かれているのは『ウメケンバチ』という我家の『家紋』らしい。
この家紋は、墓石と葬儀の時しかお目に掛かれない........。
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