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サキヒットベー♪
 このブログは、昭和36年3月に宮崎県小林市の中学校を卒業した、同級生146名の近況報告をはじめ、同級生同士の情報交換や同窓会開催連絡、昔の思い出などを語り合うためのものです。総ての記事は同級生からの投稿で運営していきます。ブログ記事の文字を大きく表示して見易い画面フォーマットに変更しました。パソコン画面を横に広げると、ブログ記事も横方向に広がり、1行当りの文字数が増えて読み易くなります。【平成27年3月23日】


<5月3日はゴミの日>
美しさを護る(護美の日)らしいですね。
さらに5月30日は「ゴミゼロ」の日として、厚生労働省が「ゴミの減量化」再利用の推進を働きかけています。
行楽に行っても「自分のゴミは持ち帰りましょう」と言うのは常識になっていますが中々ゴミのポイ捨ては後をたちません。
 
私も春と秋のボランティアのゴミ拾いに参加しています。
しかし掃除した後からポイ捨てされるとなんともやり切れ無い気持ちになります。
何とかゴミの無い社会は作れないものでしょうか?
せめて一つのゴミが無くなれば良いと思い、半分諦めて拾っています。
しかし、ボランティアをする人たちは皆気さくに、和気あいあいと拾っていますのでそれはそれで楽しいことです。
地道な活動もいつか実を結ぶだろうと思いながら・・・
 
今日は去年見たNHKのテレビで「とてつもないゴミ拾いをした人」の話を書いてみたいと思います。
内容が伝えられるかどうか解りませんが、少しずつ書いてみます。

2009・12・8(火)
Ⅰ【たった一人の反乱!!】
 
東京湾に面した千葉県習志野市にある通称「谷津(やつ)干潟」は、1970年代後半多大なゴミに汚染された。 
「干潟の機能は再生不可能」とまで言われ埋め立てが決まっていた。
旅鳥の楽園だったこの干潟を守るために たった一人で 干潟を覆い尽くしていたゴミを拾い
干潟の機能を回復させ埋め立てを中止させた『干潟の番人』と呼ばれた人の話である。
 
彼は新聞配達員である。(1974年当時29歳。)
ある日の休憩時間に上司が読んでいた新聞の写真に目が留まった。
「あれっ?谷津(やつ)干潟の写真ではないかぁ~?」と、覗き込んだ紙面には谷津干潟が埋め立てられると言う記事が載っていた。  
それは間違いなく幼い頃遊んでいた谷津の干潟であった。
 
東京湾の埋め立ては高度成長期の70年代コンビナートの建設や住宅地として次々と埋め立てられていった。
谷津干潟は渡り鳥の中継地として貴重な干潟であり水鳥や干潟の生物の楽園であることは知られていた。
 
しかし高度成長の波は周りの環境などお構い無しに押しつぶし、瞬く間に汚染は進んでいった。
エコとか環境と言う意識はまだ無かった時代である。
経済の発展と共に高度成長という時代の波に飲み込まれた頃である。
その勢いは止められない時代であった。
 
今でこそ環境、環境とみんなの意識も変わってきたが、その頃テレビに映し出される映像には、悪臭が立ちこめ家庭排水は川に流され洗剤の泡が溢れていたし、工業排水が直接河川に流れ込み川底には有害物質のヘドロが溜まり背骨の曲がった奇形の魚が映し出されていた。
環境は悪化の一途を辿り自然の浄化能力が追いつかない時代であった。
東京都のゴミ処理場「夢の島」の埋立地のおびただしいゴミの山はまだ皆の記憶に新しい所だろう。そのような頃の話である。【H・靖子】
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