忍者ブログ
サキヒットベー♪
 このブログは、昭和36年3月に宮崎県小林市の中学校を卒業した、同級生146名の近況報告をはじめ、同級生同士の情報交換や同窓会開催連絡、昔の思い出などを語り合うためのものです。総ての記事は同級生からの投稿で運営していきます。ブログ記事の文字を大きく表示して見易い画面フォーマットに変更しました。パソコン画面を横に広げると、ブログ記事も横方向に広がり、1行当りの文字数が増えて読み易くなります。【平成27年3月23日】




国道42号線(静岡浜松~紀伊半島をぐるりと和歌山市まで)を、和歌山市から南下すると広川町と言う小さな町があります。 
国道の脇に『濱口梧陵(はまぐちごりょう)生誕の地 稲村の火』という大きな広告看板が立てられています。

何十年か前にこの看板を目にした時、思わず「あっ!!」と思いました。 
『稲村の火』の話が思い出されたからです。
確か教科書で習ったような気がしますが定かではありません。
友達に尋ねたら知らないという事でしたので、ひょっとすると子供たちの教科書に載っていたのかも知れません。

安政元年(1854)11月5日安政南海大地震が発生しました。
大きな地震のあと津波が来ると予測した庄屋の濱口梧陵は、村人に津波が来る事を知らせなくてはと焦りました。 
早く知らせて村人を避難させねばなりません。
一刻の猶予も無い緊急事態です。 
大地震の後津波が来る事なんて露ほども知らない村人にどうして知らせよう。 

梧陵は刈り入れたばかりの稲わらに火を放ちました。
庄屋の家の方から火の手が上がるのを見た村人たちは「此れは一大事」「庄屋の家が火事になっている」と庄屋の家に向かって走りました。
村人が高台の庄屋の家にたどり着いて間もなく大津波が襲い甚大な被害が出ましが村人たちは救われました。  

11月5日が『世界津波の日』に国連で採択されました。
此れは和歌山県の『濱口梧陵の稲村の火』に由来するものであります。 【H-靖子】

【写真】濱口梧陵氏の銅像。『稲村の火の館』に建立されている。インターネットから借用しました。【ブログ管理人】
PR
この記事にコメントする
お名前:
タイトル:
文字色:
メールアドレス:
URL:
コメント:
パスワード:   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
- HOME -
Powered by      忍者ブログ | [PR]
カレンダー
09 2017/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 21
22 24 25 26 27 28
29 30 31
画面編集変更(RSS)
来訪者数(カウンター)
過去の月別記事
最新コメント
[03/28 未記入]
[01/06 あゆみ]
[06/12 未記入]
[01/26 あゆみ]
[08/20 古賀秀之。]
ブログ内検索
バーコード