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サキヒットベー♪
 このブログは、昭和36年3月に宮崎県小林市の中学校を卒業した、同級生146名の近況報告をはじめ、同級生同士の情報交換や同窓会開催連絡、昔の思い出などを語り合うためのものです。総ての記事は同級生からの投稿で運営していきます。ブログ記事の文字を大きく表示して見易い画面フォーマットに変更しました。パソコン画面を横に広げると、ブログ記事も横方向に広がり、1行当りの文字数が増えて読み易くなります。【平成27年3月23日】


      
  
三宅島は周囲38キロのほぼ円形の島であることを追記し、島での勤務内容については省略しますが、昭和40年3月の初任給は16,000円、4年後の昭和44年9月、三宅島着任時の基本給の明細には、33,978円とあります。

当時の相場からして決して高くはありませんが、島には娯楽施設が何もなく、たまに、やき鳥屋で一杯飲むくらいでしたから無駄遣いするところもなかったのです。
かと言って、その分貯蓄もできませんでしたが、本土と比較して物価はかなり高かったです。
その理由は、競争相手の店が少ない。台風が接近したり、特に冬場は海がシケると船が着岸出来なくて引き返すことも多々あり、その分運賃が嵩むなどいろんな事情が重なっているようでした。

島の生活で特筆すべきひとつに飲料水の確保が挙げられます。
元々、島は火山土のため貯水効果が得られないために、湧き水が出るところが限られておりました。
ですから、飲料水確保のためどこの家庭にも住宅の敷地内に雨水を貯めるコンクリート製の貯水槽が設置してありました。

日照りが続くとストックが危うくなるので飲料水専用として使い、風呂や洗濯には、太古の火口湖から各家庭に簡易水道が引かれていましたが、この水は酸性が強いため石鹸を使っても泡が立たず、風呂上がりでもサッパリ感が得られませんでした。

長雨が続くようなときは天水風呂に入ることもあり、泡はジャブジャブたつし大袈裟に言えば温泉に入ったようなサッパリした湯上がり気分に浸ったものです。
貯水槽は、年に1回程度槽の内側の壁や底の大掃除をしますが、水面にはボーフラが湧き、底には泥土とともにミミズやネズミの死骸などが沈んでいることもあり、自然の摂理に翻弄されたことが蘇っております。

赴任した翌年の昭和45年3月、妻は出産のため千葉の実家に里帰りしました。
ところが、1ヶ月過ぎても2ヶ月経っても何の兆候も現れず、ヤキモキしながら5月も終わりに近づいたころようやく長女が生まれました。
その3ヶ月間、晩メシだけは近くの民宿で食べていましたが、朝昼は、当時、女優の松山容子が宣伝していたインスタントの「ボンカレー」を暖めてご飯の上にかけて食べるのが日課となっていました。

 
  
そのようななか、当時の自分にしては贅沢品でしたが、ラジカセがたまらなく欲しくなったので、島で唯一の電気屋で1ヶ月の給料の半分以上をはたいて買いました。
これと言った使い途があったわけではありませんが、受け持ち区の老人クラブでのカラオケ大会や、自分の歌の練習の吹き込みなどそこそこ活用しました。
なかでも、今は一男二女の母親となった45歳になる、当時2歳前後の長女の歌や、片言の会話などがカセットテープに残っており、貴重な思い出の一品となっています。

【追記】 本日(4月15日)漸く退院することができました。励ましのことばなどいただきありがとうございました。
私ごとを長々と書くことにためらいを感じておりますが、今、自分史を手がけているのでその1ページに加えようと思い、敢えて書き留めることにしました。
その3は、近々に書きたいと思います。 【H28.4.15埼玉:守夫】

【写真】本人の若かりし頃の写真を除き、三宅島の全景をはじめ、昭和を代表するインスタントカレーやラジカセ等の3枚の写真はインターネットから借用しました。
写真上でクリックすると少しだけ拡大します。【ブログ管理人】

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