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サキヒットベー♪
 このブログは、昭和36年3月に宮崎県小林市の中学校を卒業した、同級生146名の近況報告をはじめ、同級生同士の情報交換や同窓会開催連絡、昔の思い出などを語り合うためのものです。総ての記事は同級生からの投稿で運営していきます。ブログ記事の文字を大きく表示して見易い画面フォーマットに変更しました。パソコン画面を横に広げると、ブログ記事も横方向に広がり、1行当りの文字数が増えて読み易くなります。【平成27年3月23日】


     
  
東日本大震災のあったその時、私達は能登半島『ヤセの断崖』にいました。
松本清張『ゼロの焦点』で一躍有名になった能登半島の景勝地です。 
前日の金沢の夜はみぞれから雪に変わったのか一夜明けた朝はうっすら雪景色でした。
早朝の兼六園を巡っていると急に辺りが暗くなり、瞬く間に大粒の雨に見舞われ、私達はそそくさと金沢を後に能登半島に向かいました。  
車が進むにつれて雨は小止みになり、半島を廻るころにはスッカリ雨も止み青空になりました。

車窓に映る日本海は碧く輝き、白い波が押し寄せ、入り組んだ海岸の変化に目を奪われます。
磯馴れ松が白波の碧い海を背にまるで計算されたような調和を見せています。
車を降りた一行十数名は『ザザ~ザザ~』と、松の葉を揺らす海からの冷たい風もどこえやら友との語らいの中では暖かく感じるのです。
『義経の舟隠し』と言われる深い入り江や、『ヤセの断崖』のある海岸をユックリ散策しました。

ところがヤンチャな仲間の2人が散策路を外れ「ヤセの断崖を見て来る。」と言うと、『ヒョイ』と土手を乗り越え冬枯れの萱の生い茂る藪の中を、断崖の方向に向かって行きました。
此方からは断崖の様子は見えません。小説では犯人の女が相手を突き落として殺すと言う設定になっている場所です。
自殺の名所とも言われている所です。
「行かないほうがいいよ 風も強いから 危ないから 行くのは止めて!」と言う間もなく、2人の姿は崖に向かって見え隠れしながら消えていきました。 
私とIMさんは土手に立って「大丈夫かな~」と言いながら消えて行った方向を見つめました。  
背丈ほどの萱の生い茂る先にはどのような断崖があるのか、見えない事が不安を増幅させました。
「もし、強風に煽られて断崖から転落したらどうしよう。消防?いや警察に知らせなければ....」とまさかの事を考えていたなんて本人達が聞いたら「余計なお世話」と叱られるところです。 

その時でした。立っていた土手が動きました。動くと言うよりゆらり!と揺れるという感じです。
「あれっ?地面が揺れたね?」
「うん、揺れた....」並んで立っていたIMさんと揺れを確認しました。
確かに揺れました。
「地震だったよね。」 ただの単発の地震だと思いました。
暫くして『ヤセの断崖』を見に行った2人の姿が藪の中から出てきたのを確認して、駐車場に向かいました。
駐車場まで200メートルぐらいはあったでしょうか、車の所でSKさんが携帯を掛けていました。その時、また揺れました。
先程より少し強く感じました。
「さっきの地震の揺れ戻しだね。」
「また揺れた!余震だね」
短い揺れなのに大袈裟にビックリした皆の顔が可笑しくて顔を見合わせながら皆で笑いました。

携帯を終えたSKさんから話を聞くと「関東地方に大きな地震があったそうで棚の物がゴチャゴチャに落ちてきて怖かった~」と、娘さんが泣きじゃくりながら電話してきたとの事でした。
それが未曾有の大震災だったと言う事を知る由も無く、また先ほどの地震がまさか同じ地震だなんて誰も気付きませんでした。
SKさんは「地震にビックリしたんでしょ 甘ちゃんだからねぇ」と、地震如きに泣きながら電話を掛けて来た娘の事を軽く受け流していました。
私達も重大事とは露ほども思いませんでした。知らないと言う事は幸か不幸か和やかな旅は続いたのです。

大震災を知ったのは途中でガソリンスタンドに入ったときの事です。
「東京が大変な事になっていますよ。ビルが倒れ火災が発生しています。」と言う情報を得ました。
その時、はじめてビルが倒れるくらいの大きな地震と知りました。
同乗していた関東の友人は家に電話をかけましたが、何回掛けても繋がらず焦りがつのる一方でした。 

ホテルに着くと ロビーの大画面のテレビには、東北の津波の映像が次々と映し出されていました。 
今まで見たことも無い凄まじい悪魔のような津波が牙を剥き、海岸線一帯を襲い家屋や建物船舶を破壊し、田んぼや畑を次々容赦なく呑み込んで行く様はこの世の地獄と思わせる光景でした。
夜になると巨大な悪魔が赤い炎を吹きながら全てを舐め尽くすような火の手が上がり、海岸の夜空を焦がし破壊し続ける光景が一晩中流れました。 
此方は日本海なのに漁船は全部沖に避難していました。
津波の被害はないと確認されるまで沖で待機していました。
その夜の宴会は勿論中止となりました。 

関東地方や東北に身内のいる人は大変な心配をしましたが一人又一人と連絡がつきました。
最後まで家族と連絡のつかなかったTYさんの奥さんと連絡がついたのは夕食が終わりかけた頃でした。
気丈に振舞っていた彼も奥様の安全が判ると涙をポロポロ流しました。
いつも奥様の事を「怖いカカァだ、怖いババァだ」と言っていた恐妻家の痩せ型の彼が、人目もはばからず泣く姿に皆も良かったなぁ~と胸をなでおろしました。

あれから5年。福島県に息子さんが勤めていると言っていたFUさん如何お過ごしでしょうか。
特に福島は原発の被害も加わって大変でしたね。 
でも皆負けずに前向きに頑張っている事でしょう。
明日はわが身かもしれないと言う教訓を噛み締め、3月11日のあの日を静かに思い出しています。【匿名希望】
                             
【写真】1枚目『ヤセの断崖の案内板』:提供=Y守夫君。2枚目兼六園の遊歩道に咲くカキツバタ群。写真は拡大できます。

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