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サキヒットベー♪
 このブログは、昭和36年3月に宮崎県小林市の中学校を卒業した、同級生146名の近況報告をはじめ、同級生同士の情報交換や同窓会開催連絡、昔の思い出などを語り合うためのものです。総ての記事は同級生からの投稿で運営していきます。ブログ記事の文字を大きく表示して見易い画面フォーマットに変更しました。パソコン画面を横に広げると、ブログ記事も横方向に広がり、1行当りの文字数が増えて読み易くなります。【平成27年3月23日】




まだまだ書きたい事は一杯あるけれど、7月も今日で終わりだからも少し、書いてお終いにしよう。
名勝『浄土ヶ浜』では遊覧船に乗った。
震災前2隻の遊覧船があった。
『3・11』のその日、1隻はドッグに入っていて津波に呑まれたそうだ。
もう一隻は丁度お客さんを降ろした直後だった。
地震の後、津波が来る事を予測した船長が沖に逃れて船は難を逃れた。
それにしても10メートル以上の波をよくぞ乗り越えて無事だったものだ。 
その津波を乗り切った強運の遊覧船が今活躍している。
可愛い船のガイドさん。
若くてピチピチ.......。
棒読みの案内がなんとも癒される。
運の強い遊覧船にパワーを貰った。

『この世の浄土』と言われる浄土ヶ浜は期待通りの絶景だった。
ただ白い砂浜と思っていた所は、石ころばかりの白い浜だった。
実際に見ないと分からない物である。
国道45号線を走ると
『過去の津波浸水区間ここまで』
『過去の津波浸水区間これから』
と書かれた標識が沢山出てくる。
海も見えないこんな所まで津波が押し寄せてきたのか、と信じられない事実があった。 
震災前の状況を知らない私達は、ただの風景と思っても 「ここは随分賑わっていた所でした」と言われる辺りなどは、かさ上げ工事の真っ最中であったり夏の草が茂っていたりした。
ガイドさんの話を聞く「自分が今何処を走っているのか判らないときがある」と........それ程景色が変わっているのだ。
良く見ると広々した風景の中に家の土台だけが残されている。 
テレビで何回も目にした津波の後の光景が目の前にある。
「嗚呼~何ということ・・・」それ以上の言葉は思いつかない。

なんだか暗い話ばかりになってしまったがこんな事もあった。
最初に書いたがツアーの申し込みが1番だったので、バスの座席は一番前の特等席だった良いことが他にもあった。

初日は気仙沼の某ホテルだった。
最近のツアーはバスの中で部屋番号が言い渡されて、宿に着くと各自自分の部屋に行くようになっている。ビックリした。 
他に3~4人のグループもあるのに、和洋室の特別室があてがわれていた。
テンションが上がったのは言うまでもない。
2面に窓が大きくとられている。
目の前が気仙沼港で眺めは抜群である。
1番に申し込んだ大きなご褒美だった。
そして夕食はグループごとにテーブルがセッテングされており単独の宿泊気分である。

夏の味覚『ホヤ』も食べた。
味は~~微妙~~。
観光の途中バスが停まる度にみんなの荷物が増えていく。
少しでも復興に繋がったのかもしれない。

2泊3日の旅行は記憶に残る旅となった。
振り返って「行ってよかったなぁ」とつくずく思う。
膝の痛みを心配してシップ薬を持参したが、一枚貼っただけで帰宅した時にはスッカリ忘れていた。
気分を変えることがこんなに体調を良くするとは。 旅の疲れも全くない。
我ながら呆れるくらいの体力に驚いている。

しかし私も70歳。母娘の旅はこれが最後になるかもしれない.....そんな気がした。
娘には「60代最後の旅になったよ ありがとう」と言った。
何をするにも娘に助けられ安心の旅でもあった。
楽しかったいい旅を有り難う。娘に感謝である。 
明日から8月。暑い暑い夏を気合で乗り切ろうと思う。終わり。 【H・靖子】

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