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サキヒットベー♪
 このブログは、昭和36年3月に宮崎県小林市の中学校を卒業した、同級生146名の近況報告をはじめ、同級生同士の情報交換や同窓会開催連絡、昔の思い出などを語り合うためのものです。総ての記事は同級生からの投稿で運営していきます。ブログ記事の文字を大きく表示して見易い画面フォーマットに変更しました。パソコン画面を横に広げると、ブログ記事も横方向に広がり、1行当りの文字数が増えて読み易くなります。【平成27年3月23日】


 
 
7万本もあった松原の1本だけが残った『高田の一本松』は復興のシンボルとして遠くに見ることが出来た。
ここでは約1時間余り、60才前後の男性ボランティアガイドさんが案内してくれた。
その中で震災当時の自分の様子も話してくれた。 
その時、私は実家にいました。
物凄い大きな地震の後ボ~~ッとしていまして、 突然隣の家の人に「津波が来るぞ~逃げろ~~」と言われ、高台に上って難を逃れました。
その時の様子を振り返ってみるのですが、音を全然覚えていないんですねぇ。
 
家がぶつかる音。津波が押し寄せてくる音。人々の声など本当は音があった筈なんですが何にも覚えていない。
そして家々が呑み込まれていく様子も見ているのですが、全く色がついていないんです。
まるでモノクロの無声映画を見ているような感じです。
おかしいでしょう? 時折笑顔を見せながら「しょうがないなぁ」と言うように淡々と話しをされる。

笑顔の奥にはきっと大変な苦労と震災による心の傷があるのだろうと思うと、色々聞いてみたい質問もはばかられた。
話は続く.......
「波が引いて我が家に帰りました。家はスッカリ跡形も無く流されていました。」
「僕はおかしいですね その時何を思ったかといいますと『あ~後片付けしなくて済んだ』と思っていました。」
全く僕はおかしいですねぇ~と苦笑された。
聞いている皆も小さく笑った。

人間は極限のパニックになるとこういう事にもなるのだと思った。

私の実家は醤油製造をしていたのですが、津波で工場も何もかも全部流されました。 
再起不能と思いました。しかし皆様の暖かいご支援のお陰で場所を変えて再開することが出来ました。
「本当に有り難うございました。」
「本当に助けられました。」
「有り難うございました。」と心からのお礼を言われると大した援助もしなかった自分が恥ずかしかった。

『道の駅高田松原』はそのまま残されている。
建物の壁を良く見ると三角の筋がある。(右写真) 
これは玄関の有った場所で、完全に建物から剥ぎ取られた跡である。
建物の中を覗く、松の木がすっぽり入って横倒しになっていた。
4年も経って松の木は枯れていたが、建物の中まで入り込んだ凄まじい津波の恐ろしさを見せ付けていた。
ここは15.1メートルの津波が押し寄せたとあった。(左写真のセルフ・ガソリンスタンドの看板が総て水没した....写真は拡大出来ます)
この辺りもかさ上げ工事の真っ最中で、大きなベルトコンベアーが2本も3本も空中を渡り、まるで工場を見る感じあった。

山からトラックで土を運び出すと、10年位はかかると言われる仕事を、このベルトコンベアーなら3年余りで出来るらしい。
山からベルトコンベアーで土を運び出す工事は、関西空港建設の時も使われた。
山から直接運び出すので色んな面で効率がいいのだろう。
このかさ上げ工事も後1年ぐらいで終わるらしい。
この工場みたいなベルトコンベアーも撤去され又新しい景色になる。
復興が進むにつれて移り変わる景色が新しい時代を作るのだと思った。【H・靖子】
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