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サキヒットベー♪
 このブログは、昭和36年3月に宮崎県小林市の中学校を卒業した、同級生146名の近況報告をはじめ、同級生同士の情報交換や同窓会開催連絡、昔の思い出などを語り合うためのものです。総ての記事は同級生からの投稿で運営していきます。ブログ記事の文字を大きく表示して見易い画面フォーマットに変更しました。パソコン画面を横に広げると、ブログ記事も横方向に広がり、1行当りの文字数が増えて読み易くなります。【平成27年3月23日】


  
     
震災後の無残なおびただしい瓦礫の山は車窓から見る限り皆無であった。 
着実に復興は進んでいるようである。
かさ上げ工事は随所で見られ遠くから見ると、さほどの高さは感じないがバスが傍を通ると見あげるほどの高さに驚いた。

「これ程大量の土が必要なんだ」気が遠くなるような大工事である。
「人間はやる事はやるんだなぁ~。人の力は凄いなぁ~!!」と思った。
そんなに凄いと思っている一方で、今もし、津波が来たらこの土は瞬く間に流されるだろうと悪夢が蘇る。

被災者の復興住宅も想像以上に沢山あった。
人の姿は見えないが不自由な生活をしている事だろう。
それと同時に車窓から見える真新しい住宅は、震災後に建てられた物である。
殆どが新しいということは、津波がいかに沢山の家々を破壊したかと言う事でもある。
そして新しい家は懸命に生きる人々の証のようでもあった。

車窓からは震災遺構としての建物がいくつか見ることが出来た。 
5階建ての4階まで破壊されたものや、4階建ての3階まで破壊されたものなど、見てるだけであの時の映像がよぎってしまう。
 


皆が感銘を受けた『南三陸町3階建ての防災センター』のすぐ横をバスは走った。

自分の身を省みず最後の最後まで懸命に避難を呼びかけたあの声が耳に残っている。 
ガイドさんの説明が無ければ知らずに通り過ぎたところであった。 
此方も周囲はかさ上げ工事の最中で一瞬しか見ることが出来なかった。
この建物の存続が気になっていた。

「震災を思い出すから撤去して欲しい」という住民と「残して震災を後世に伝えるべき」と言う意見が出て、一時は撤去と言う事になったらしいが、ガイドさんの話によると「これから20年県が面倒見ましょう。20年経ってその時又皆で考えましょう」と言うことで落ち着いたらしい。

あの避難を呼びかけた女子職員は3日後に発見されたそうだ。 

彼から貰ったミサンガが足首に付けられていて、それが決め手となったとか...........
亡くなられた人々のご冥福を祈らずにはいられない。【H・靖子】

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