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サキヒットベー♪
 このブログは、昭和36年3月に宮崎県小林市の中学校を卒業した、同級生146名の近況報告をはじめ、同級生同士の情報交換や同窓会開催連絡、昔の思い出などを語り合うためのものです。総ての記事は同級生からの投稿で運営していきます。ブログ記事の文字を大きく表示して見易い画面フォーマットに変更しました。パソコン画面を横に広げると、ブログ記事も横方向に広がり、1行当りの文字数が増えて読み易くなります。【平成27年3月23日】




未曾有の『東日本大震災』から4年が過ぎ、その後の復興の様子もテレビで見ることが少なくなった。 
『大震災の被災地』を一度は見ておきたいと思いながら、当初は『物見遊山』と思われそうでためらわれた。 
その後、少しずつ落ち着きを見せ始めると「来て頂く事が復興支援に繋がる」と言われるようになり、ボランテアガイドのついたツアーも始まった。 
早速、昨年ツアーを申し込んだが、参加者不足で不催行になった。
「せめて少しばかりの義捐金でも・・・」と近くの郵便局に赴き義捐金の申し出をした。
ところが振込用紙が中々見つからない様子で暫く待たされた。
「災害から3年も経つと義捐金に協力する人もいなくなったのかもしれないなぁ」と震災の記憶が薄れていく寂しさを感じた。

今回は39名の参加者があり、催行決定で念願の三陸海岸2泊3日の旅をすることが出来た。
飛行機は仙台空港に到着した。
外に出ると建物の高いところに水没箇所までの印があった。
ちなみに、仙台空港は3.02mまで水没したようだ。(下写真:クリックすると拡大します)
「あんなに高い所まで津波が押し寄せて来たのか」と、想像も出来ない程の高さに、改めて被害の甚大さを思い知らされる。 
飛行機が流された仙台空港は、アメリカの救助隊がいち早く復興してくれて短期間で運行再開となった。
  
    
  

仙台と言えば『S-メイ子』ちゃんの住んでいる街である。
以前に逢ったとき「地震の時の恐怖は大変だった」と話していた。
パニックになってその後も少しの揺れにも脅えていると話していたが元気にしてるだろうか? 
慌しいツアーの日程で電話する事もできず空港を後にした。

空港を出ると、広々とした緑の絨毯を敷き詰めたような水田が広がり、あの時の災害は何処にも感じられない。 
海水に呑まれた田んぼの塩分を抜く作業(除塩)が進み、2年ほど前から少しづつ稲を植えられるまでになったという。
バスは高い堤防を兼ねた国道を走る。とても見晴らしがいい。

私はツアーの申し込みが1番だったそうで座席は1番前である。(但し2日目、3日目は後ろの座席になる。)
この高い堤防が津波を遮ったと思った。
右側は海、左側は水田が広がり遠くに民家が固まって見える。
ガイドさんの話によると、従来の生活道路が国道(堤防)の下を何本もトンネルになって貫いて、津波がそこから押し寄せて堤防の内側も相当の被害が出たそうだ。
これから廻る三陸海岸は津波を語らずしては回れない。【H・靖子】

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