忍者ブログ
サキヒットベー♪
 このブログは、昭和36年3月に宮崎県小林市の中学校を卒業した、同級生146名の近況報告をはじめ、同級生同士の情報交換や同窓会開催連絡、昔の思い出などを語り合うためのものです。総ての記事は同級生からの投稿で運営していきます。ブログ記事の文字を大きく表示して見易い画面フォーマットに変更しました。パソコン画面を横に広げると、ブログ記事も横方向に広がり、1行当りの文字数が増えて読み易くなります。【平成27年3月23日】




【愛される日本 2/2】
太平洋戦争の頃の話である。
インドネシアは350年も長きに亘って、オランダの植民地として支配され占領されていた。
その生活は家畜以下とも思われるほど、劣悪極まりなかった。
第二次世界大戦中、今度は日本軍が侵攻してきた。

「今度は日本軍に虐(しいたげる)げられるのか」と、インドネシア人は思った。
しかし、日本軍は違っていた。
「私たちは占領しに来たのではありません」
「皆さんはインドネシアの国に誇りを持ってください」
「私たちは技術の全てを教えます」
「どうか豊かな国を自分達の力で作ってください」
この言葉通り、今まで幽閉されていた政治犯の釈放(スカルノなど)、学校の建設、農作物の作り方の指導等々に力を入れた。
半信半疑で見ていた現地住民も、日本兵に対する見方が次第に信じられるようになってきた。
自由独立の為の『民族軍』も日本兵の協力で結成した。

『ここまで我々の国の事を考えてくれている。』 と、日本兵に対する見方が、スッカリ変わっていったのは言うまでもない。
こうしてお互いの固い信頼関係が築かれていった。

ところが1945年。我々が誕生した年である。日本は敗戦した。そして日本軍は撤退して行った。
再びインドネシアは、オランダの統治下に......。
『今こそ日本人に教えてもらったインドネシア人の誇りと自由の為に独立しよう』
日本の軍隊に教えられた戦争の作戦が、今こそ生かされる時である。
その時2000名以上の日本人兵士が、インドネシア独立の為に帰還を断念して残ったのである。
4年半にも及ぶ長い苦しい戦争は、多くの犠牲者を出し1949年に終結しインドネシアは独立した。
この日本兵の力がなかったら、独立は遅れていたかもしれない。 番組はこう結んでいた。

*インターネットで『他国が日本を愛する理由』をクリックしてください。他にも色々出ています   
こんな番組を見ると心温まります。
*現地に残った日本兵の数は千人とも二千人とも言われています。ハッキリ判りません。【匿名希望】

【写真】記事にマッチする写真がありませんので、PCの壁紙から『竹林』の写真にしました。
日本人の伝統的な技術(竹壁)に安らぎを感じませんか。【管理者】
PR
この記事にコメントする
お名前:
タイトル:
文字色:
メールアドレス:
URL:
コメント:
パスワード:   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
- HOME -
Powered by      忍者ブログ | [PR]
カレンダー
06 2017/07 08
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
画面編集変更(RSS)
来訪者数(カウンター)
過去の月別記事
最新コメント
[03/28 未記入]
[01/06 あゆみ]
[06/12 未記入]
[01/26 あゆみ]
[08/20 古賀秀之。]
ブログ内検索
バーコード