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 このブログは、昭和36年3月に宮崎県小林市の中学校を卒業した、同級生146名の近況報告をはじめ、同級生同士の情報交換や同窓会開催連絡、昔の思い出などを語り合うためのものです。総ての記事は同級生からの投稿で運営していきます。ブログ記事の文字を大きく表示して見易い画面フォーマットに変更しました。パソコン画面を横に広げると、ブログ記事も横方向に広がり、1行当りの文字数が増えて読み易くなります。【平成27年3月23日】


  
 
【エルツールル号事故から100年】

1985年3月17日イラン、イラク戦争の最中、フセイン元イラク大統領は「48時間後 イラン上空を飛ぶすべての航空機を撃墜する」と突如宣言しました。
当時、日本の航空会社にはイランへの航路がなく、安全も保証されないため、政府は救援機を出すことが出来ませんでした。
他の国の航空会社は、自国民を優先するため、日本人は取り残されてしまったのです。

 取り残された日本人、そして家族、政府、日本国民皆が焦燥に駆られましたがどうする事も出来ません。
取り残された日本人は戦火の中で「日本の国からも見離された。もうだめだ!」と覚悟を決めたそうです。
そのときタイムリミットぎりぎりの時でした。トルコ航空機が日本人救出のため飛んできたのです。
日本人を乗せ、危機一髪のところでイランを脱出したのでした。 取り残された日本人200名余り全員無事救出されました。
『嬉しかったですねぇ~本当に飛行機の姿を見た時、涙が出ました』テレビで救出された人が涙を流しながら話していました。
その裏では民間人がトルコ政府に働きかけた功績があったそうです。

戦火の中、日本人の救出のために来てくれた。でもそんな危険を冒してまでなぜトルコ航空機が? 皆が疑問に思うところです。
それは約100年前に救出してくれたエルツールル号遭難のお返しだったのです。 何ということでしょう。
受けた恩を何時までも忘れず其れも100年も前の恩返しだなんて....「こんなこともあるんだなぁ~」有り難さと、嬉しさの感動を覚えました。
それから、何かにつけて「トルコ」の文字が親しみ深く身近に感じるようになりました。
「情けは人の為ならず」 正に諺その物の話ではありませんか。

『あの時のご恩返しのために....』トルコの国民より日本人を優先させました、それに対してトルコの国民からの批判は皆無だったそうです。
トルコの人たちは列車で脱出しました。
 串本の大島に「トルコ記念館」が建っています。 緑の芝生の中に日本とはどこか違う頭のとんがった建物です。
今でも友好都市として交流が続いています。そして日本トルコとの交流も行われています。
「仲良き事は美しき哉」 日本人の「人を思いやる素晴らしい心、もてなす心」は世界に認められています。そういう日本を私は誇りに思います。トルコと日本」末永く友好を続けて行きたいものです。

この記事を書いている最中『トルコのカッパドキアで日本人女子大生の殺傷事件』が起こりました。
悲しみにくれるトルコの人たちの姿が報道されました。1000人の追悼集会があったそうです。
その中に 「ごめんなさい」と書かれたプラカードがありました。
トルコの人たちの気持ちを表しています。でも悔しい本当に、悲しく悔しい事件でした。 傷を負われた方のご快復と、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。【Hー靖子】 

【写真】エルツールル号殉難将士慰霊碑(和歌山県串本)

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