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 このブログは、昭和36年3月に宮崎県小林市の中学校を卒業した、同級生146名の近況報告をはじめ、同級生同士の情報交換や同窓会開催連絡、昔の思い出などを語り合うためのものです。総ての記事は同級生からの投稿で運営していきます。ブログ記事の文字を大きく表示して見易い画面フォーマットに変更しました。パソコン画面を横に広げると、ブログ記事も横方向に広がり、1行当りの文字数が増えて読み易くなります。【平成27年3月23日】


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【フキン・昔の話】4-3
子供の頃、滲みったれた切りっぱなしのフキンで茶碗を拭いていた。
漂白剤も無い時代だったから、初めは真っ白だったフキンも次第に薄汚れてきた。姉が茶碗を洗い、それを私が拭いた。今にして思えば、まるで雑巾のようだったろう。
今、同じフキンを出されたら、とても茶碗を拭く勇気はない。 それほど、滲みったれたフキンだった。
しかし、当時はそれが当たり前で、比較するものも無かったし、汚いとも思わなかった。実際水洗いされている訳だから汚い事はない。ただ白が薄茶色に変色してるだけの事である。

我が家の「茶碗」は、持ち手の付いた四角い桶に入っていた。拭き終わったフキンは水洗いして持ち手のところに干した。
次に拭く時は、薄汚れたフキンもパリッと乾いていていた。 食器の数も少なく、ご飯茶碗とおつゆ茶碗、それに小皿と中皿位しかなかった。
一汁一菜の質素な食事だった。 水道も無い時代である。 
隣家の井戸から水を汲んで、土間の台所の大きな水甕(みずがめ)に汲み置きしてあった。

秋の午後、学校から帰って水甕の蓋を開けると、外の光が屈折してかめの中に射し込んでいた。透明な水の揺らめきが、子供の目を釘付けにした。木の柄杓で水を汲むと屈折した光も消えた。
「ごっくん」小学生だった女の子の喉を潤した。台所で使う一日分の水はこの水甕で賄っていた。水汲みは大人の仕事だったが、中学生ともなれば風呂の水汲みまでも私の仕事になった。

天秤棒で担いで運んだ。初めのころはピチャピチャ水が踊り、バケツから飛び散ったものだ。 その頃を思い出すと全てがエコな生活だった。
生活のほぼ全てが自然のものであふれていた。流し台も木で出来ていたし、洗濯する時のタライも木製であった。
当時の嫁入り道具に木のタライが有った。唐傘もそうだった。柿渋の利いた濃紫の傘を広げると、美しい色糸の模様が内側に開いた。

「綺麗だなぁ~」と小学生の私は思った。
プラスチックのタライが出始めたとき、その軽さに驚いた。そして「腐る事もない」と聞いて、全戸に普及したらその後は売れなくなるだろうなと思った。
娘が生まれた時、沐浴用にプラスチックのピンクのタライ購入した。 いまだに現役で年に1~2回は使っている。我が家で最古参の道具である。木のタライは水を吸って重かったが、今思うとぬくもりがあった。
                              <続く> 【H-靖子】

【写真:倉庫に眠る懐かしい木製道具】
4斗樽(桶)、寿司桶、お櫃(ひつ)、洗濯板。この日照り続きで『桶』は、木が乾燥してしまい総てバラバラに分解・壊れてしまった。
孫達の『流しそうめん』の受け台にするために、3日前に組み立てて水分を含ませている。
組立て直後は、ザルのように水漏れしていたが、2日目には水漏れは皆無になり、檜製の『お櫃』はあの特有の香りが蘇ってきた。
水を含ませるだけで、その機能が復活する...。計算された技術力、精巧な出来栄えに、桶職人の技術力の高さに驚いている。お陰さまで、自家製の木製濡れ縁も水を含んで綺麗になった。【管理人】
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