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サキヒットベー♪
 このブログは、昭和36年3月に宮崎県小林市の中学校を卒業した、同級生146名の近況報告をはじめ、同級生同士の情報交換や同窓会開催連絡、昔の思い出などを語り合うためのものです。総ての記事は同級生からの投稿で運営していきます。ブログ記事の文字を大きく表示して見易い画面フォーマットに変更しました。パソコン画面を横に広げると、ブログ記事も横方向に広がり、1行当りの文字数が増えて読み易くなります。【平成27年3月23日】


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今年の6月にタイへ行きました。
その時、タイ米のごはん、チャーハン等を食べました。
驚いたことに米は日本の米と変わりませんでした。
店の人に「これはなんだ!」と尋ねました。
そしたら「コシヒカリという日本原産の米だ」と言うんです。
3年前と全然違い、おいしく食べました。

私はそんなことも知らないで、日本からパック詰めのご飯を持参していましたが無駄でした。
スイカもメロンも種を日本から輸入しているらしく、日本製の苗から作ったイチゴもありました。
タイはすごい勢いで発展していることがよくわかります。【K-秀之】 

 

【追記】前号(9月25日発行)のブログで『大根の種を蒔いたら日照時間不足で、” もやしみたい ” になった』という内容の記事を書いた。
その記事の中に 
>>台風が引き連れてきた雨で野菜が高騰している。
そして『米どころ』となっている東日本と北海道....台風による災害で悲惨な状況になっている。
もしかすると20数年前(1993年の冷夏による米騒動)のように『タイ米』を輸入するようなことになるかもしれないなぁ~。<<
ということを追記した。

このブログ記事に『K-秀之君』が、上記のコメントを書いてくれましたので記事として紹介しました。
写真は日本製の苗から育てているイチゴの栽培風景のようです。
K-秀之君が提供してくれました。【K-正人】

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  新年を無事に迎えることができて、皆さんに感謝をしている今日この頃です。
『おかげさまで!』と言う言葉の意味が、最近になり昔よりよくわかると感じている今日この頃です。
ブログをいつも楽しく読ませて貰っています。
私は若い人達に『ガラケー』と言われる携帯を使っております。

しかし、どうしても『ガラケー』では文字が小さくて読めなくて少し困っています。歳ですかね~!?
すみませんが、『ガラケー』用に文字の大きさが変えれたら、大きさの変更をお願いします。【M-ノリエ】

【回答:ブログ管理者】 大変貴重なご意見をありがとうございます。
早速『ガラケー』の機能について、いろいろ勉強させて頂きました。
その結果、残念ながら『ガラケー』を始め『携帯電話』専用に、パソコン側で文字サイズを指定したり、操作することは不可能です。
送信側では、テレビやラジオ放送と同じで 『誰が?』 『どんな機種を使って』受信しているのか、という判断をすることは無理なのです。
 
既に、このブログ「サキヒットベー」は、老眼対策として文字を拡大して書いています。これより大きくすることは出来ません。

貴女が使用している『ガラケー』本体に「文字サイズ指定」というような機能が付いていると思いますが、その機能は付いていませんか?
 一度、販売店へ問い合わせるなどして、試行・調整してみて下さい。

  
 
今年を振り返り、漢字一文字で表すなら『暑』が最初に浮かびました。
梅雨が明けてから9月の台風到来まで、雨がまったく降らなくて、毎日の猛暑が強く印象に残っています。
その暑さと言ったら、熱いの何のそりゃーもうシンガポールよりも暑いんですから......
あっ、皆さんも知ってるか? 暑かったですね。
 
毎日、夕方には野菜に水をやりました。
畑のサトイモなどは枯れたのもありましたし、道端の雑草まで枯れていました。
例年だと蚊が多くて困っていましたが、今年は蚊も少なかった。
 
例年は夏の間の何日 かはクーラーを使いましたが、今年は毎日のように夜中まで使いました。
毎日35度以上のまさに炎天の日が続きました。
 
九州でも最も雨の少ないこの地域。
9月に種まきをしたけど、芽を出さないのもありました。
9月6日に雨でしたが、その後10月まで晴れで暑い日が続きました。
10月に雨が上がった後、蚊が発生したのも印象に残っています。
 
台風の気圧の低いのにも驚きました。
900ヘクトパスカル前後で風速60メートルとか、フィリピンに上陸したのは90メートルというのに恐怖を感じました。
 
年寄りには、暑さ寒さはこたえます。
私はなんとか、病気しないで生きていました。
寒い日が続いたり、暑い日が続く時「大きな船が入っているわ」と、三途の川の渡しが忙しくなると言いますが....。
これは本当のことかも知れませんね。【K-秀之】
 
【写真】ブログ『秀之の残日録』より借用。自然に鈴生り状態で群生している天然モノの『キクラゲ』が、特に印象に残りました。
これも異常気象の影響では?....。【ブログ管理人】

こんにちは!!  
お元気ですか??
一年中で一番大好きなこの時期、風邪でダウン↓↓していました。
やっと元気になったので、10月某日華々しく開催された
美女子会の報告を致します。
厳格な入会基準に合格し、入会を許され初めての参加でした。
場所は某ホテル??料理はフルコース(一品持ち寄り、ゆで卵1個でも、何も持ってこなくても O.K)会費なし。

厳格な入会基準をこっそり教えます。
 1)昭和36年3月に野尻中学校を卒業していること。
 2)必ず女子であること。   入会は随時。

なんと、まあまあ賑やかなこと、賑やかなこと...
何を食べたのか? 何を話したのか? 全く覚えていません。
ごめん! ごめん! おでんと赤飯を食べました。
行きも帰りも珍道中....。

集合写真を一枚。
これ一枚撮るのにも大騒動......
やっと ユリカメラの自動シャッターが言うことを聞いてくれました。




み~んな味のある、良い顔をしているでしょう。
半世紀前よりずっと良い。


そして そして おもしろ写真をもう2枚。
野尻町在住の、とある有名画伯に依頼して楽しい写真が出来ました。
さあ、誰だかわかりますか? そして画伯の名は??





個人的に写真が欲しいとの連絡もありましたが、このブログの紙面を借りてその方への送付とさせて戴きます。

寒さに向かう折、皆様、くれぐれもご自愛下さい。
                           【2012.11.15 M-民子】





 



まだまだ暑いですね。

イスラム教の国、インドネシアに主人の赴任で渡航。
初めて行ったのが、1994年9月1日。
あれから18年の月日が流れました。
赴任期間は4年。

一度、本帰国したのですが、早期退職して、再渡航。
ほとんどボランティアで10年間.....。
『もう行かないのかな??』と思っていたら『また行く...』とか。
今回は3年ぶりに私も行きました。
昨日(9月12日)帰ってきました。



色々、世界中のあちこちで、問題になるイスラム教ですが、インドネシアのイスラム教はとってもおとなしいです。
朝晩の祈りの声(コーラム)が、響き渡ります。
どうにか言葉が通じるので、あちこちを散歩し、異文化に触れてきました。
身の危険は何時でもありますから、信用できるインドネシアの人たちに守られながら.....



今回訪れた所は、5~60年前の野尻を思い出すような、のどかな、のどかな、田園地帯。
朝は『コケコッコー』のにわとり。
隣り近所の人とのコミュニケーション(会話)。
牛がのろのろ....。
でも昔の野尻と違うのが、誰でも携帯電話を持っていること、そして広い、広い、ゴルフ場があることです。

写真は上から
・『学校帰りの高校生たちと』
・『大きなパサール(市場にて) 店員さんと』
・『隣の奥さんとお孫さんと』

【追伸】まだ、暑さが続きそうです。
皆さんお互いに体に気をつけて、暑さを乗り切りましょう。
                           【2012.9.13 松下民子】



一週間前.......。
『ヤッホー! 元気ですか?....』
今、「山と鍾乳洞、そして花のある井原山」 に来ています。
ここは「水無鍾乳洞」という大きな鍾乳洞と「オオキツネノカミソリ」という花の群生地で有名なところです。その時の写真を送ります。
という内容のメールと共に3枚の写真が送られてきた。




そして昨日.......。
先日の写真、良かったら ブログに 載せてください。   
「オオキツネノカミソリ」を、靖子ちゃんが 見たいと 言っていたので.....
ほとんど 毎年 登っていますが 今年の花が 最高でした。 
井原山の登山口にある、水無鍾乳洞から吹き出してくる風は、山の疲れを忘れさせてくれます。【M-民子】

 



【省エネ大作戦 『みどりのカーテンをも食らう?』を読んで・・・・】

そうねぇ...、暑い暑い日差しをさえぎってくれたゴーヤのカーテン。
我が家のも2~3日前に撤去しましたが、正人さんの感想を読みましてほんとに感謝の気持ちがよく解りますわ。

私は去年教えてもらった「ゴーヤ茶」を作りました。
腹具合の悪い時にお茶にして飲んでいます。

『サキヒットベー』 を通じていろんなことを教えてもらいました。
暇な毎日を野菜つくりに楽しみを見出したのも、ここでの出会いがきっかけでした。
ゴーヤに感謝と同時に 『サキヒットベー』 にも感謝です。
おかげでパソコンでも少しですが遊べるようになりましたしねー。【K-秀之】

【写真:隣町(東浦町)の朝の散歩道から.....懐かしい轍のある畦道】



うちのことまで心配してもらい、ほんとにありがとうございます。
家の裏山の段々畑は猛烈な雨でしたがなんとか無事でした。
畑の土がかなり流れ出たようではありますが、土砂崩れなどがなくてよかったです。

吉村君のカライモは「紅あずま」ですかね?
あの種類は昨年私も作りました。 
大きくなりますが、収穫したらすぐ腐り始めます。
カライモは作りやすいけど、保存が難しいです。
私は保存方法を知らないので腐らせてしまいました。
収穫したら直射日光に当てないようにして、倉庫などで籾殻の中に入れておくといいという人もいます。

落花生を見ましたが、土の種類が違うようです。
よくできているとも思いました。
千葉が産地だと聞いていますが納得できました。
ここら辺は粘土質の土ですが、関東は粘り気のない土でしょうから、落花生栽培には適しているんでしょう。

川窪さんの車庫作りや、ゴルフに対する姿勢、野菜作りも素人じゃないですよ。私はパソコンの指導も受けています。
開拓魂を持ち、さらに探究心旺盛なところなどすばらしいといつも感心しています。だから私は彼のことを尊敬の念をこめて「川窪さん」と呼んでいます。【K-秀之】

【写真:裏山の開墾時の段々畑....ブログ「秀之の残日録」から借用】


夕べ、タッパケの天ぷら料理をしてもらいました。
二ラ天よりもおいしいと思います。
歯ごたえもあるし、くせはないし、いくらでも食べられる。
ビールのつまみには いいんじゃないですか。
私は大好きな食材になりました。
天ぷらにするとは うーん、考えたこともなかった。
やはり横のつながりは大事ですねー。
教えてもらわなかったら たぶん死ぬまで思いつかなかったことでしょう。【K-秀之】

冬の頃、近所の人から『ひょうたんかぼちゃ』の栽培方法を教えてもらい、完熟の『ひょうたんかぼちゃ』を食べて感動しました。
甘くて、やわらかくて とても美味しかった。


そこで2段目の畑に植えて、枝は竹の棚に這わせて、実はぶら下げて虫に食われないようにするようにして準備しました。
それがねぇ、こんな風になりました。

毎朝、黄色い大きな花をつけます。雌花には受粉をしました。
10数本ぶら下がりました。昨日「みつちゃん」が来て、まだまだこれから花が咲き実がなるからと。
そうなるとすれば『ひょうたんかぼちゃ』だらけになるんじゃないかと心配になっています。

これ以外に12本も山に向けて植えているんですから.......こんなに大きくなるなんて知りませんでした。

タッパケは収穫しました。味噌漬けにしました。楽しみです。
てんぷらにして食べるのは知りませんが、小さく刻んで衣を着けてあげるんでしょうかねぇ。【K-秀之】
 
旅好きの私....。
『なるべく安い金額で、3倍楽しみたい!』
それが私のモットー!!
 
3月12日、はなばなしくデビューの予定だった九州新幹線.....。
ところが先日の東北地方の大惨事、本当に心が痛みます。(合掌)
自粛で九州新幹線も乗車率30数パーセントとか、私も「少しでも貢献しようと」....4月7日に乗車。
 
九州新幹線で『博多』~『鹿児島・出水』へ向けて出発。
(JRジバング倶楽部利用で運賃は3割引)
目的地は『阿久根』なので『出水』から『肥薩おれんじ鉄道』に乗換え。
ここで『一日乗り放題の切符(2800円)』を購入。
 
今回の観光ルートは
『出水』~『川内』~『阿久根』~『新水俣』~『出水』を計画。
【川内では】
 駅前で無料のレンタサイクルをチャーターして市内を散策。
 昔なつかし「しんこだんご」をほおばる。
【川内~阿久根間の車窓では】
 桜・菜の花・れんげ等が沿線にたくさん咲き乱れ....
 最高の季節を堪能。
【阿久根では】 
 東シナ海を一望できる、塩湯の「露天風呂」に。
 入浴料350円。
 
『肥薩おれんじ鉄道』は単線で1両のみの運行。
ガッタン・ゴットン
景色よし、情緒あり、人情あり
朝と夕方、乗客は私ひとり
なんと贅沢な専用列車....
景色の良い所では列車を止めて下さいました。
運転手の高橋さんありがとう!!
 
今年できたことが、来年できる保障はありません。
その時 その時を大切に過ごしたいものです。
『他人には誠実に! 自分には忠実に!』で人生を愉しんでいます。
じゃ~また。【2011.04.13 M-民子】

灰にまみれた梅の花が満開に咲いております。
ウグイスの鳴き声も、もうすぐ聞けることでしょう。
新燃岳の爆発から1カ月が過ぎました。
全国の方からの励ましを受けて、宮崎は元気を取り戻しております。
マグマの活動が落ち着くまで、あと1年はかかるでしょう。

今日は梅畑を散策して、フキノトウやツワブキの収穫がありました。
寒くて長くてつらく厳しい冬に耐えて、植物が芽吹き始めました。【K・洋子】

この棚は竹で作ったものですが、これはひょうたんかぼちゃを這わせるためのものです。
狭い土地ですから、畑一面に這わせるわけに行かないものですから、空中を利用することにしました。
この竹に親ツルを誘導して先へ先へと行かせて、実をならせようという算段です。
なぜこうするかといいますと、かぼちゃは地に這わせてならせると、地面についている部分が完熟する頃には虫に食われてしまうからです。
さらに、ひょうたんかぼちゃは、完熟するのが12月から1月末くらいになるのです。
 
種は5月ごろ蒔きますが、大きくなるのも普通のかぼちゃより遅いのです。7月頃から実がついて、10月ごろまでつるが延びて霜が降りるまで伸び続けるようです。
私は昨年はじめて作りましたが、初めて食べた時、完熟でなかったからうまくなかったからまずいと思いましてほったらかしていました。
でも完熟したものは糖度が高く甘くて美味しいです。
先日近所の人がまだ収穫しないで塀に延ばして、ならせている人がいましたので教えてもたったのです。
つるしてならせること、完熟するまで取らないことが大事だと、そして2個もらいました。
 
それで、昨日今日と塀の変わりに竹でつるが這うところを作りました。
植える予定の土を掘りまして油粕と牛糞を混ぜ込みました。
 
裏庭でお茶を飲む時、段々畑にひょうたんかぼちゃがたくさんぶら下がっている風景を夢見ながら作りました。【K-秀之】
 
 


ちょっとおそめの....
 あけましておめでとうございます
 
私達の故郷・宮崎県は、鳥インフルエンザ、そして新燃岳の噴火と受難の年明けで心が痛みます。
被害が少しでも少なくて済みますよう様にと祈るばかりです。
私達が中学1年の時、この新燃岳が噴火して灰が降ったのを覚えていますよね。五十三年前です。
 
さて私事ですが......
1月23日、淑女ならぬ熟女・山女3人で、福岡県粕屋郡宇美町の『難所ケ滝』へ登ってきました。
毎年、この『氷の滝』を見に登っていますが、今年はこの寒さ!! 
今まで見た滝の中で最高に素晴らしいものでした。
言葉では表現できないので、写真を同封します。”寒いのでは?!”と思われるでしょうが、登り始めたら汗が出てきます。
 
いつもは山の中腹で取り付ける「アイゼン(登山靴の底に付ける滑り止めの金具)」を、駐車場のちょっと上で取り付けなければ危険な状態でした。
一昨年は下山中に、この「アイゼン」が木の根っ子に引っ掛かり、転倒・転落、あわや大事故.....。咄嗟の行動で大事に至らずに済みました。
それでも好きですネ...山登り。
私の山登りのルーツは、小学校4年生の時に母と登った韓国岳です。それから中学、高校.....。子育て中は中断していた山登り。再び登り始めて、もう二十余年になります。
 
そこで一句
” 山ガール(?)
   転ばぬように
     よちよちと ”  

じゃ~また
  【H23.1.29  M-民子】
【追伸】真ん中の一番可愛い人(?)が私です。解りますか?

春菊の栽培をしていますが、なかなか食べられるものができません。
虫が食ったような穴が開いて、網目のようになっています。
農薬をまくのはどうも躊躇してしまうのですが、こういうときどうすればいいのでしょうかねぇ。
 
なにか虫がいるんじゃないかと、サルの毛つくろいのように覗くのですが 虫も見つからないのです。
だれか、わかる方はいませんか?【K・秀之】


家内の両親は熊本で「文化堂製菓」という和菓子の卸し屋を営んでいたのですが、79歳で病のために閉店して、私たちと同居を始めました。
同居し始めてからも父は店のことが忘れられず、サラリーマンの私の生活がつまらないものと見えたらしくさびしそうでした。
「サラリーマンはばからしか」とささやくことがよくありました。
父は製菓業を続けたいのだな、と思いましたが私にはできませんから、自分でもできる仕事を考えました。
世間で通用する自分の能力は何があるかを考えた時、私は趣味でやってた「釣り」しかなかったのです。
そこで、父のさびしい思いを慰めようとお店をすることにしたのです。
そして屋号を「文化堂釣具店」としました。
「お父さん、文化堂のお店ができましたよ」と店に連れて行きまして、見せました。
そのときの父のうれしそうな顔をいまだに忘れられないし、それを励みに16年間続けました。
今はその父も他界しました。
今日で閉店します。

昨年来、私の腰痛がひどく、遊漁船も出せない状況が続いたのがきっかけで 売り上げが激減したのが原因です。いつかは閉店しなければならなかったのですが・・・できたらあと2~3年。
今朝も、私が店に来たら中学生4人が暗い中で待っていてくれました。
「ごめんねー、今すぐあけるからね」といいながら、店を開けました。
自転車で来るお客さんには、閉店することがこの先この子たちには釣具店がこのあたりにはないので不便になるだろうと思うと、気が重くなりました。
 
明日から後片付けをしますが、息子が「父ちゃんはじっとしておけ、腰が痛くなるぞ」とうるさいのです。
まだまだ子に従う歳ではないと思いながらも、叱られながら従うことにしました。
今日で在庫売り尽くしの安売りも終わりです。まだまだ売れ残りがありますが仕方がありません。
完売したかったのですがねー。人間の欲にはきりがありませんから、このあたりですべてあきらめようと覚悟しました。
長い間、多くのお客さんに支えられながら、家内といっしょに楽しい思いをたくさん頂きました。本当にありがとうございました。【K・秀之】

大根ができそうです。
9月はじめに種まきした方は もう食べていますが 一列3メートルも植えておけば 家で食べる分は十分だろうと考えていたのです。
ところが近所の人が通るたびに
「あら、もうできてる、大根おろしが食べたいわ」
と抜いていくものですから
無くなってしまいましてね。
そんなこともあろうかと 9月末にもう一列種を蒔いていたのが この写真です。
家内が「大根はまだ収穫できないの」というんで
「うん、もう少しかな、あと2週間くらい先だろう、今ちょうど俺の息子と同じくらいの大きさだから」とわかりやすく説明した。
そしたら「だったら、もう食べられるわ」と冗談を言うんですよ。
びっくりしましたが もし「それじゃーまだまだ食べられそうにないね」と言われたら わたしは落ち込んでいたことでしょう。
いつもやさしく 私を支えてくれる家内にホッとしましたが・・・・
歳を取り、会話も少なくなると ほんと黙っている時が長くなりますね。【K・秀之】

【カップラーメンと指輪】
レストランで毎回食事をすると小遣いがなくなるので、私はカップラーメンを持参した。
朝起きて、メイドにコーヒーを入れてもらう。
「朝飯を食うから 鳥のから揚げを買ってきてくれ」
から揚げを食べながらビールを飲む。朝のビールも悪くない。
コンビニで買い置きしているシンハービールだ。
ラーメンの作り方を教えておき、毎朝作ってもらった。
 
その後、着替えをして散歩に出掛ける。散歩から帰ってシャワーを浴びる。着替えたものを洗濯して干してもらう。
メイドを雇っておくと、とても便利だ。シャワーのときも身体を洗ってもらえるし、日本では味わえない殿様気分である。
 
好きな時代劇の小説を読みながら、マッサージの時間を待つ。もちろん、眠くなったら昼寝をする。
テレビを見てもいいが、タイ語か英語の番組しかない。
時間帯によってはNHKの放送もあるが、見ないことのほうが多い。
マッサージの後は、また本を読むか、昼寝をするか、時間はゆっくりと過ぎてゆく。
メイドがちょくちょく様子を見に来るが、年寄りが生きてるかな?と言うような顔をして「何か用事はないか」と尋ねる。
 
「マッサージルームの人たちが、タウンに一緒に行こうといってるけど」と言ってきた。
「何しに行くんだ」
「お寺参りと買い物だそうです」
「OK、じゃついていこう」
私はタクシーの助手席に乗った。そしたら彼女たちは後部座席へ。
なんと4人乗り込んできた。一人は3人の膝の上に横になった。
ワイワイしゃべっていくもんだから、うるさいことと言ったりゃ、もうたいへん。
たまの遠出なんだろう、はしゃぐんですわ。
タウンとはプーケットタウンのことで、プーケットの中心の町です。免税店や大型のマーケットがあります。ビーチより物価はすごく安いです。
観光客はほとんどがビーチにいますから、タウンはもっぱらタイ人の街となっています。
 
運転手が「宝石店に寄っていいですか」というもんですから 
「だめだ、宝石には関係ない」と断った。
そしたらリーダーらしき人が「コカー、私たちは寄りたいんだ」と叫ぶじゃないですか、仕方ないから「寄っていいよ」と運転手に。
「フン、俺と同じ貧乏人のくせに、なにが宝石だ」と日本語でつぶやいた。
 
店内で指輪のところからはなれようとしない。そしてあろうことか、私に「コカ、500バーツ頂戴、これいいのに安いから金を出してくれ」と
「あのなー、そんな金があったら 俺は俺のワイフに買ってやるわ」と答えてしまった。
 
ホテルに帰ってからメイドが「コカ、あの時金を出さなかったから、よかったわ」と話してきた。
500バーツは1500円だから、出してあげられないお金ではないが、出すべきお金ではないことは確かだ。
「そうかー、おまえもそう思うか、おまえの考え方は正しいよ」と答えた。
腹が減って米と唐辛子しか食べられない、と言うなら金を出してあげてもいいが「指輪などおまえらには絶対に買ってあげたくは無い」と改めて思った。【K・秀之】

【名前を覚えられない】
デン、スー、プー、リー、と変な名前の人がたくさんいる。
5度や6度聞いても 私はおぼえることができない。
よほど特徴のある人なら覚えてる時もあるが、ほとんど帰国したら思い出せない。だから私はかってに名前をつける。それでも彼らは返事をするから、不自由はしない。
私が行ったら握手をしながら「私のことを覚えてるか、コカー」と聞く。
「もちろん、覚えてるよ、顔だけだけど」とこんな調子ですわ。
 
そんな人たちが「次はいつ来る予定か」
と尋ねられるものですから
「来年の4月か5月だ」といい加減に答える。
「4月がいいよ、タイのお正月だから」
そしたら リーが
「その時、私たちはふるさとへ帰るんだ、一緒に行かないか」と
「飛行機の予約は取れるのか?」
「飛行機じゃなくてバスで帰るんだよ」
「時間はどれくらいかかるのよ、なぬ!24時間?」
彼女らはタイ東部の田舎から出てきていると言うことだった。
飛行機のチケットを買うとしたら、いくらかかるかをツーリストオフィスのワンさんに尋ねたら、
「明日の飛行機なら安いよ、でも3日後の飛行機なら高いわ、でもプーケットーウドンタニー往復6000バーツ(2万円)くらいだわ」という。
彼女らの話では ウドンタニーからノンカイーまではタクシー。
ノンカイーからラオスのビエンチャンまではすぐそこだという。
「近くにはアンコールワットのような遺跡がたくさんあるから、案内するよ一緒に行こう」と誘われた。
1週間の正月休みを、いまから楽しみにしている。
私としてはあまり気が進まない。田舎に行けば殺されて、ジャングルに捨てられて、野豚に食われてしまうかもしれないから。
死んでもいいや、と思えば行けない事も無いが......
遺跡に興味があるわけでもないし.....

でもそこは秘境であることは魅力である。
シルベスタスタローンのランボーに出てくるあのビエンチャンである。
地図を見たら メコンの東側がビエンチャン、西側がノンカーイ。
メコン川がタイとラオスの国境だ。
彼女らはそこにいる父母に子供を預け、ここに出稼ぎに来ている。
ここへ来るのにバンコクマフィアに借金をして その支払いと仕送りを続けているのだから 大変だよね。
「おまえの借金はいくらだ?」
「私は5万バーツ(約15万円)」とさびしそうな顔をした。
「ビッグマネーじゃないか、どうしようもないな」と、どこの国でも借金はいかんな。救いようが無いわ。
だから他人の金でやけ酒を飲み、泥酔するはずだよな。
ちなみに政治的にはタクシン派、赤シャツである。タクシンは貧しい人に金を配り選挙に勝つ。
早い話が 買収で首相になったのである。
写真はレストランの前に飾られた、石鹸で作ったお花ですね。これを道端で作って売られてます。
白人の主婦が珍しそうにたかって見てますわ。【K・秀之】

【旅行に行くならローシーズンだ!】
ハイシーズンとは乾季の時で北半球が冬の時期だそうです。
スエーデンやノルウェー、ドイツ、スイスなど雪に覆われているとき、彼らは暖かいビーチにわんさかやってくる。年間通してやってくるのはオーストラリア、ニュージーランド、シンガポール、マレーシアなどの金持ちらしい人たちである。
今回もオーストラリア人との出会いが多かった。
ローシーズンである今は街全体にお客さんの姿が少ない。
この時期、出稼ぎの人たちは、思うように稼げなくて嘆いていた。
マッサージ店に寄ったところ、仕方がないのでフットマッサージをさせてやることにした。
お客がいないもんだから4人がかりでやりはじめましたよ。2人は腕と肩をもんでくれるのです。私は大の字になり、やりたい放題にさせて.....そりゃーもう天国でしたわ。
 
「一年ほど前、ここで働いてたピアはどうしているの」と尋ねたら、
「近くの別なホテルにいるよ、でも行かない方がいいよ、あんたが来ないと怒ってたからボクシングになるよ」
ボクシングになると言うのは、殴り合いになると言う意味らしい。
 
夜、オープンバーの帰りにそのホテルの前を通りかかりました。ボクシングをすることになるのかどうか?
中に入っていきました。ピアがいましたわ。
「ハイ、ピア」
「コカー、いつ来たの?元気か?」
「明日帰るんだ、元気そうだな、飯は食ってるか?やせたじゃないか」
「ローシーズンだから、すこしやせたわ、でもやせたかったから、今がちょうどいいよ」と笑っていた。
「なにか食べに行かないか」
「うん、すぐ用意してくるから、ここで待ってて」
と奥に行って、すぐ出てきた。
ハイシーズンには満足に食事をして太り、ローシーズンにはやせるものらしい。
春先のやせ細つた熊みたいだな。
 
ボクシングにはならなかったんです。
「コカー、歳はいくつなの?」
「57だ」私はいつもウソを言う。これは若くありたいという願いから出るウソである。
「去年も57じゃなかった?」と不思議そうな顔をしていた。
「去年も57だったか? ピアはいくつになったんだ」
「39歳になった」「去年はたしか37歳だったよな」と、ほとんどほんとのことなどしゃべらないことがわかるでしょ。
ピアは結婚したことが無いから子供はいないと言ったが、これも本当かどうかわからない。
私は歳のことを除いては、すべて本当のことを話している。
 
時間はすでに12時だった。ふたりでバングラどおりを歩きながら、ビーチまで行き、また引き返してきた。
「何か食べるか?」
「腹は減ってないから、コカは食べたいか?」
「おれも減ってない、じゃーこれは明日の食事代にしろよ、明日夕方帰国するから、もう一緒に飯は食えない」とお金をあげた。
「ピアは知ってるだろ?俺が貧乏人だということを、だから少ししか上げられないことも」
「知ってるよ、ありがとう」と受け取った。
 
あくる日の午後、ピアのところへ行った。
「ピア、又来るからな」と挨拶したところ、「まだ時間はあるだろ、ここに座れ」と言う。
ピアは私の足をもみ始めた。すぐに私が痛い右足の外側を押さえながら
「ここが痛いんじゃないの」と
「うん、4月に腰の手術をしたんだけど、そこの痛みが取れないんだ」
もうピアは何も言わないで、マッサージに没頭していた。
ピアは腕のいいマッサージ師だと思いました。
「ピア、もうお金が無いから、マッサージの代金は払えないよ」
「知ってる、お金は要らない」といいながら、一生懸命もみほぐそうとしていた。【K・秀之】

【福岡税関のオッサン】
プーケットの空港でEチケットとパスポートを提出し、手荷物のバッグを預けた。
係りの女性が「福岡空港渡しとなります」と言いながら、鍵のところに「割れ物注意」の赤い紙をベタッと2ヶ所貼り付けた。
コップが割れている絵の書かれた、あの張り紙ですよ。『割れ物は入ってないのにな、ま、いいか』と思いましてそのまま預けました。
出国手続きも難なく通りまして、手荷物検査と身体検査を受け、待合室へと入りました。以前、ここの出国の際に個室に連れ込まれたときのことが思い出されました。
 
ジャンボ機でバンコクに着きました。
売店のテーブルにかけて、ビールを注文しまして、持っていたクッキーを食べながら飲んでいました。
となりの白人が話しかけてきました。
「あんた、どこの人か?」
「日本人だ」
「おーっ、日本人か、どこに行くの?」
「今、帰るところだ」
「そう、どこに行ってたのかい」
「プーケットだ」
そんなつまらない話をしながら 
「どうだ?おまえさんも食べるか?」とクッキーを上げた。
そんなことをしているうちに福岡行きの飛行機の出発時間になりカウンターへと移動した。
「じゃーこれで、いい旅をしろよ」というから
「おまえもな」と別れた。
 
飛行機の中はほぼ満員だった。もう夜中の1時だ。すぐに日本語新聞を読み、眠った。朝8時、福岡空港に着いた。
手荷物を受けとり、税関に向かった。
税関のオッサンはニコニコ顔でこっちにおいでと言う。行きましたわ。
台の上のバッグを見ながら「何が入っていますか?」と言って私の顔色を伺っていた。
私はこういうとき、年寄りくさい顔をして、とぼけたことしか言わない。
「洗濯物とか臭い靴下とか ろくなもんははいっとらんですわ」
と小声で言った。
オッサンは『胡散臭いオヤジやな』と思ったらしくパスポートを見ながら「よく行かれるんですね」と言う。
そして「バッグの中を見てもいいですか、どうして張り紙をしているのですか?」と
『ははー、この張り紙のせいやな』と思いましたが 
「どうぞ、あけて見てください」
 
中には家内が好きなマンゴスチンが2キロ(300円)とアイスクリームのような味がする果物が入っている。
もちろん、持ち込み禁止の果物である。
見つけられたら ボッシュートされるのだ。あきらめましたね。
『フン、どうせ安い果物だ、持ってけドロボー』
という気持ちで覚悟しました。
 
ところがね、彼らの探し物は別のものらしく、中の隅々は見ても洗濯物や果物の包みには目もくれず、目当てのものはないと確信したらしく「この紙は又張りますか?」ときました。
「いりませんわ、どうぞその辺に捨ててください」。
 
おかげで家内は喜びました。
マンゴスチンだけは日本では高くて食べられませんからねー。
アイスクリームの味がする果物の名前は何回聞いても覚えられない変な名前でした。一見ドラゴンフルーツくらいの大きさで、色は薄緑か白い色をしています。中身は真っ白です。
写真は散歩の時見かけた欄の花です。きれいでしたから、私のパソコンの待ち受け画面にしています。【K・秀之】

『リハビリのプーケット....』
3月に右足がひどく痛み始めましてね、歩けなくなりました。
去年ヘルニアの手術をしてもらった岡病院へ行きました。
そのまま入院でした。
4月に脊髄間に何かあるということで手術をしました。
ヘルニアの手術をしたところと同じところでした。
取り出しましたところ、腫瘍だと・・・でも良性だから心配は要らないと言うことでした。
5月の連休明け、10日に退院しましたが 長いこと歩けなかったものですから 足腰が弱ってしまいましてねぇ、ふらついていました。
腰は曲がり、ふらついて 少ししか歩けない状態でした。
それから9月半ばまで自宅にて歩行訓練をしていましたが、右足の筋が痛みで萎縮していて 思うようにリハビリが進まないのです。按摩や整体や岡病院のリハビリにも通いましたが効果はありませんでした。
 
よし、プーケットのマッサージに行こう、と考えました。
でもバンコクの空港は広いから、乗継ができるくらい歩けるかどうかが心配で、なかなか「来週行こう」という決心ができませんでした。
そんな時、旅行会社から「明日現金を払い込めるなら、プーケット往復通常格安料金から1万円安くできるチケットがありますが、どうですか?」という電話がありました。
 
プーケットに着きました。いつものホテルに宿泊しました。
さっそく、フロントのエイミーに「力の強い、上手なマッサージのできる人を呼んでくれ」とお願いしました。
「OK,すぐ呼ぶけど、部屋がいいですか、それともホテルのマッサージルームにしますか?」と
私は部屋のクーラーの温度では暑過ぎると思いまして 「マッサージルームがいいな」と答えました。
 
そのマッサージの人は確かに上手でした。私の身体を触りまして「ストロング、とくに右足の外側の筋が萎縮している」とすぐに言いましたね。
よし、この人なら何とかしてくれるかもしれないと期待しました。
「痛いのは右足だ、柔らかくしてくれ、時間は無制限だ、俺が今日はもういいというまでやってくれ」とお願いしました。
約2時間、まるで鰹節を削るみたいに肘で筋を伸ばしました。
やられてる私はそがれるたびに痛いの何の、そりゃーもう大変で、何度も悲鳴を上げました。
絶えられなくなり「OK,今日はこれまでにしよう」と相手の顔を見たら、なんと大汗をかいて真っ赤な顔をしてました。
「うん、あんたも疲れただろう、これはチップだ」
と多めにはずんであげました。
「明日は午後1時にここに来てくれ、毎日一週間、ここに来てくれ」と
「OK,毎日来るけど、あんたは午前中ウォーキングをできるだけたくさんして待っていて」
 
私は翌日から午前中2時間くらいビーチに行きまして歩きました。
なんと昨日より 足が軽く、大またで歩けるようになっていました。腰も伸びて休み休み2時間歩いても痛みが無いのです。
その日の午後は1時間半くらいのマッサージで
「今日はここまででいいよ」と
「でもまだ筋が固いよ」
「うん、でももう痛くて耐えられないわ、又明日にしよう」
 
そんな1週間を過ごしました。あと1週間いたらもっとよくなるだろうと考えましたが帰国しました。同窓会が近づいていましたから......。
帰国しましたら家内が「見違えるほどよくなったね」とびっくりしていました。
エイミーは私のために あの界隈でNo1のすご腕マッサージ師を世話してくれたんだとわかりました。
吉村君や大阪の友人、熊本や延岡の友人が プーケットの話を書けとせがまれましたが、今回はマッサージ三昧で、ほとんど出歩かなかったのです。ネタが無くて書けないのです。
まじめに療養してたんですよ、ほんとですよ・・・・疑ってる人は根性が悪いんじゃないの?【K・秀之】

こんにちは! 初登場で~す。
先日の同窓会とても楽しかったです。少々、いやいや、かなりはしゃぎ過ぎ、ちょっと、いやいや、かなり反省しています。
 
沢山の方々と話をするチャンスがありました。それぞれに壮大な歴史があり、山があり、谷があり、それを乗り越えての今日。皆さんがとてもとても輝いて、まぶしく見えました。
有難うございました。出席してよかったです。
 
初登場なので自己紹介。
1994年から1998年までの5年間、主人の仕事で日本を離れてインドネシア暮らし。外から日本を見て、なんと素晴らしい国なんだろうと再認識。
日本古来の『道』を学ぼうと「江藤道場栄心館弓道部」に入門したのは、帰国してすぐの1999年(平成11年1月11日11時)のことでした。
53歳でした。

『弓』を始めて、いろんなことを知りました。
野尻町に「ゆば」という地名があります。小さい頃から「ゆば」と呼んでいた所は「弓場(ゆば)」だったのです。
野尻のそこに、弓を引く場所があることに気付いたのです。そして隣の市「都城」が弓の生産日本一であることも全く知りませんでした。
私が持っているこの弓も、都城で作られたものかと思えば、感慨深いものがあります。
 
ところで『道』が付くものには『段』があります。すぐに初段は取れると思ったのですが、これがなかなか『級』から始まるのです。
「初段を取ったらもういいか....。」 
ところが欲が出て「三段まで取れたらもういいか。」 
三段審査までは、白の筒袖。
四段になってやっと着物が着られるのです。
そしたら着物にタスキ掛け
「これがカッコ良いからと....」四段に挑戦。
10月3日(同窓会の1週間前)に四段審査。
受験者33名中、5名の合格。難関でしたが、見事合格。
ヤッターヤッター...で大はしゃぎ。
筆記試験もあり、なかなか苦労しました。
 
射の心は
『淀(よど)まず 逸(はや)らず』とか
人生もそうですね。ついつい淀んだり、逸ったり。
これからは真の四段になれるよう精進、精進。じゃ~また。
松下民子(旧姓・郷田)でした。【2010.10.14】
 

何年か前、私は沖縄に行きました。
那覇空港について、レンタカーを借りまして、国際どおりの見えるホテルに宿泊しました。
目的は二つ、米軍基地を見たかったことと、小中学生の頃 疎開してきていた喜名レイ子さんの墓参りに行くことでした。
彼女とは電話でときどき連絡していましたから、といっても彼女が亡くなる1~2年前のことですが お互いに元気でいること、子供の話など 少し話しただけなんですけど・・・
誰からか忘れたが 彼女が亡くなったことを知らされて 悲しかったものですから。
せめて墓参りに行こうと思っていました。
 
さっそく普天間基地の見える場所に車で行きまして 何時間かじっと様子を見ていました。
飛行機の発着は数回ありましたが ヘリコプターの動きはありませんでした。
アメリカ軍兵士の姿もほとんどなく、なんか妙にニュースなどで聞く「うるさくて 大迷惑をしている」という様子には見えませんでした。
 
今朝のニュースで アメリカ軍は普天間から辺野古やグァムに移転するのを2014年までに完了する、という先の政権との約束を守らない、つまり普天間移設を中止すると発表しました。
名護基地周辺の住民の騒音被害軽減のため、辺野古やグアム移転をする約束でしたが 地域住民の願いは叶えられなくなりました。
 
ホテルの前に国際通りがあり、夜の街はにぎわっていました。
出掛けまして、友人と二人で名物料理を食べたり、飲んだりしましてほっつき歩きました。
アメリカ軍兵士の顔には会いませんでした。
あくる日、海岸線を糸満市のほうにドライブしました。ビーチに何人かの米軍兵士らしいのがいましたが そのほかには見かけませんでした。
報道されてるほど 沖縄の人たちは米軍に迷惑を受けているとは思えませんでした。
あくる日、また普天間飛行場に出掛けました。静かなものでした。
 
喜名さんの住んでいた読谷村に行きました。役場や住所の付近で聞き込みをしましたが 見つけることはできませんでした。半日くらいかけました 訪ね歩きましたがだめでした。
もう少し、下調べをしていくべきでした。
私はそっと黙祷をしてレイ子さんの冥福を祈りました。彼女の黒い瞳を思い浮かべながら・・・。【K・秀之】

中国側がすでに同諸島海域に向けて「漁業監視船」を派遣したことを明らかにした。漁業監視船は中国農業省が管理している。
姜報道官は派遣した目的について「関係海域の漁業生産秩序を維持し、中国の漁民の生命、財産の安全を保護すること」と説明した。
 
先日、尖閣諸島で中国漁船が密漁をしていたんですよ。
停船命令に従わず、海上保安庁の船に中国漁船が体当たりしてきて、漁船の船長が逮捕されたニュースを知っていますか?
日本の漁場で網を引いていた中国漁船に停止命令を出したが逃走、保安庁の船は早いからすぐ追いついて停船命令を繰り返したが、船をぶっつけてでも逃げようとしたんですね。ロシアならすぐに銃撃して、日本の船を没収しますが、日本は銃撃はしませんねー。
 
それに対して中国は尖閣諸島は中国領土だと、漁業監視船と言う名で海軍を出してきているんでしょう。
こうなると、海上保安庁の武器では対応できませんから、普通なら自衛隊の出動となるはずですが・・・・日本は戦争を放棄してますから、どうなるんでしょうか。
竹島の場合、韓国が領有権を主張し軍を常駐させているわけでして、奪われた状態です。
 
中国は日本の都市に向けて、核ミサイルを配備してるから、例え手向かいしても負けるんでしょうから、尖閣諸島は中国領土と言うことになると覚悟したほうがいいんでしょうよ。
日米安保では「尖閣諸島は日本領土、もし侵略されたら、米軍は行動する」とあります。オバマ政権を鳩山前総理が「トラストミー」と騙して、菅氏が8月決着とウソをついた。
小沢氏は相変わらず、沖縄に米軍はいらない、と吼えてるしねー。
中国は「沖縄は日本領土と言う歴史的証拠は無い」とも言ってますから、尖閣諸島の次は沖縄でしょう。
その沖縄の人たちも「米軍は出て行け」と言ってますから、中国に支配されるのを待っているんでしょう。
ただ一人、鳩山前総理は「勉強して見たら 沖縄に米軍は必要だとわかりました」とバカ丸出しの発言をしていましたねー、あれには笑えましたわ。
 
戦争してまで守る価値があるかどうかを言う前に、日本政府には守る意思はない。
写真を見てください。彼らが野党のときに撮られた写真ですが、破かれているのは国旗です。
楽しそうな顔をしているんですよ、他国の国旗を破くなんて、まるで朝鮮人が「靖国参拝反対」とデモをして日の丸を焼きまくりますが、似てるでしょ? この人たちが日本のために何をするつもりなのか、私には想像できません。【K・秀之】
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