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サキヒットベー♪
 このブログは、昭和36年3月に宮崎県小林市の中学校を卒業した、同級生146名の近況報告をはじめ、同級生同士の情報交換や同窓会開催連絡、昔の思い出などを語り合うためのものです。総ての記事は同級生からの投稿で運営していきます。ブログ記事の文字を大きく表示して見易い画面フォーマットに変更しました。パソコン画面を横に広げると、ブログ記事も横方向に広がり、1行当りの文字数が増えて読み易くなります。【平成27年3月23日】


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皆様初めまして。
吉村守夫の二番目の娘です。
(大阪在住ですが「関東から発信」とさせて頂きたく思います。)
このたび父に代わり、同級生の皆様にひとことご挨拶をさせて頂きたく、父が日々チェックを欠かさなかった、このサイトに登場させて頂いた次第です。
先日、無事に四十九日法要を終えました。
納骨はまだ先ですが、年内に見通しがつきそうです。
同級生の皆様には大変大変お世話になり、心から感謝申し上げます。

父は同級生の皆様が大好きでした。
やはり同級生とは貴重な存在で、宝であり心の支えであったと思います。
皆様と電話で話す父は昔に戻って、心から楽しそうでした。
昨年から約1年半、父は実に前向きに病気と闘っていました。
私達に、最後まで精一杯諦めない姿を見せてくれました。
抜けた髪の毛を気にしながらも(もともと多くありませんが 笑)治療にも弱音を吐かず、体にいいといわれることは取り入れ、生きる道を求めていました。
いろいろな形で応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。
亡くなる直前まで元気だったといえると思うんです。

今年7月に入ってから弱り始め、酸素が取り込みにくくなり、喉が腫れて飲み込みが難しくなり・・・・いよいよ病魔が猛威をふるったのだと思います。
体力が落ちてほとんど動けなくなりました。
父の最期は夜中になりましたが、母をはじめ私達子供、孫、家族全員が揃って父を見送ることができました。
一人ずつ手をとり話しかけ、感謝を伝えることができました。

演出好きの父がまるで設定したかのような最期でした。
葬儀の際には皆様お心遣いを頂き、本当にありがとうございました。
なにぶん取り込んでおりましたので、ご挨拶等至らない点もあったかと思いますが、何卒ご容赦下さいませ。

西村さん、駆けつけて頂きありがとうございました。
父も絶対喜んでいたと思います。
父に寄り添い、父のパジャマを着て、同級生と父との思い出を語り、私の主人(次女の夫ということです)と1枚の布団で仲良く寝て頂きました。
また、写真もたくさん撮って下さいました。

気持ちの整理がつかずまだじっくり見返すことができませんが、記録を残すことを大事にしていた父のことです、きっと感謝していることでしょう。
父は毎度の同窓会や集まりを本当に楽しみにしていて、ビデオの充電は勿論のこと、あらゆる準備を入念にしていました。

10月の『偶然会旅行』も目標にし、随分前から心待ちにしていました。
まだ声が出ている頃、「行きたかったなあ」と・・・・願い叶わず本人が一番悔しがっているはずです。
だからきっと、その集まりに父も参加していると思います。
心は皆様と共に過ごすと思います。
どうぞ、賑やかな楽しいひとときとなりますように・・・・ 吉村守夫が伝えたかった感謝の言葉・・・・父に代わりまして申し上げます。
皆様本当に、本当にありがとうございました! 心の底から感謝を込めて。【2016.10.02 埼玉:守夫(次女)】

【写真】守夫君が丹精込めて作成してくれた『古稀同窓会』の集合写真と、仮装大会などの動画を編集してくれたDVDです。
立派な足跡を残してくれました。
守夫君の『想い』は、同級生全員の心の中に生き続けることでしょう。
ご冥福をお祈り致します。写真上でクリックすると拡大できます。【ブログ管理者:K-正人】

【同級生からコメントが寄せられました】
『吉村さん、皆貴方の事大好きでしたよ。』
娘さんの投稿を読ませていただきました。
まるで吉村さんが書いているような錯覚を覚えました。 
此方こそ色々お世話になりましてありがとうございました。
素晴らしい奥様、立派なお子様たち、暖かな家族の風景を浮かべながら「吉村さんは幸せだったね」と思います。

楽しみにしていた紀州路の旅は6日からです。
台風が過ぎた後の旅は吉村さんが見守ってくれているように思えます。
先日、奥様からも「一緒に連れて行ってください」と言われました。
勿論、そのつもりです。
「必ず連れて行きますからね!・・・・」
吉村さんは賑やかで楽しいことの好きな人でしたから、一杯楽しんで来ます。
ご家族の皆様もどうぞお身体大切にお過ごし下さい。
ご冥福をお祈りいたします。【H-靖子】

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先月、BS日テレで『デジタル遺品どうする?』
サブタイトル『残したメール、写真、あなたの死後も残る!』と題して、その対処法を紹介していましたが見た人もいたでしょう。
自分では都合の悪いデータは無いつもりでいたましたが、検証したところ、日記、家計簿、住所録、生命保険加入状況……等々、やはり他人には見られて欲しくないデータが沢山保存されており、終活の一環としてボツボツ整理する必要を感じているところです。
上記写真はディジタルデータ保管用の補助ディスクですが、このデータの保管方法で悩んでいるところです。
川窪君はおそらく対策を進めていると思いますが、手間のかからない対処法をブログで紹介してくれると助かりますけどね~! 
 
 


さて、上記写真1枚目は庭の片隅にくっつけて植えた空豆とスナックエンドウです。
2枚目は、春休みに大阪の娘が里帰りしたときスナックエンドウと空豆の区別が付かず一緒にちぎったもので、サヤの写真に向かって左がエンドウ豆、真ん中の殻をむいたエンジ色の実が空豆です。
空豆はこれからというときでしたが、エンドウと入り交じって実を付けていたので殻付きのままだと見紛うのも無理ないなと思いました。
もっとも、アジとイワシ、サンマの見分けが付かない二十歳過ぎの女の子もいるくらいですから、親の躾にも問題があるんですかね~!

因みに、空豆の種は古希同窓会の折り、H-靖子さんからもらったものですが、古賀君の残日録にも先月、写真付きでおなじような空豆が食卓に載っていたので、種の出所は多分同じかなと思います。
そんなたわいもない前置きですが、 先日久しぶりに同級生の、M-ノリエさんから「元気しょいね~!最近、ブログも書いちょらんし元気ね~?」と御機嫌伺いの電話がありました。

彼女とは5年前、同窓会が終わってから、数人で稲用先生と会食する機会があり40数年振りに会いました。
彼女は昨年の同窓会には所用で欠席しましたが「DVDを利津子さんと一緒に見たよ~!みんなに会えたような気持ちになり、懐かしかったし嬉しかったが~!といって電話をくれました。
今回も会話の中で、そのときの同窓会のことや寺田正利君のこと、末次君が亡くなったことなど話しましたが、昔話になると話は尽きないものですね。

来年、古賀君が予定している『生きているうちにまた会いましょうや』と題した大分同窓会の件はブログの同窓会情報で承知しているようだったので、自家用車に便乗して是非出席するよう念を押しときました。
古賀君の素案は、年金暮らしの我々にとっては非常にありがたい企画だと思っています。
関東在住の人には連絡中であり、まだ先の話なので出欠までは回答ありません。

今後は自分の体調が気になるところですが、今の段階では大分同窓会を生き延びるための目標のひとつに掲げ、目標達成に向けて療養に専念したいと思っています。 【H28.6.2 埼玉・守夫】



熊本地震は終息の兆しが見えないまま10日目を迎え、被災者の心労も極限状態かと思います。
大分在住の古賀君、旧姓:浜田さんとも連絡がとれて無事が確認されたのでホッとした次第です。
二人とも相当怖い思いをしており、生きた心地がしないと言っていましたが、1日も早く終息することを願っております。  

さて、『三宅島の思い出』も今回で終わりますが、在島期間中は噴火など自然災害にも見舞われず比較的平穏な3年間でした。
そのようななか、特に印象に残っている行事のひとつに運転免許取得試験がありました。
現在は分かりませんが、当時は東京の運転免許本部から試験官が派遣され、3日間くらいかけて本土と全く同じ内容の技能試験と学科試験が行われていました。
ユニークなのが、走行技能テストコースがないので、高校の夏休み期間中に交通安全協会の役員や世話役が総出で大量のわら縄を準備し、グラウンドにS字、クランク、並列(縦列)駐車…など、縄でコースを形どった模擬の試験場をこしらえて技能試験が行われ、脱輪などしてコースが壊れたらその都度縄を張り直して修復しておりました。
取得後の免許証は勿論、全国有効な運転免許証であることは言うに及びません。

それから、小3~中学生を対象とした少年剣道の指導もありましたが、この子たちも今は55歳~60歳になっており、学校の先生や警察官になった子もおります。
セピア色にあせた当時の写真を見ながら、いにしえの自分にふけっているところです。

そして、昭和47年9月の任期を迎えるその年の1月、二女が産まれました。
少し長くなりますが、その日の朝、妻が腹痛を訴えたので7時ころ診療所に連れて行きました。
診療所と言っても、廃校になった教室の一部を診察室や待合室に改造した造りなので隙間風がビュービュー入るなか、妻はストーブと火鉢のみで寒さを凌ぎながら分娩台の上で長時間の陣痛に耐え大変な思いをしたようです。
そのような劣悪な環境でしたが一向にお産の兆しが見えず日が変わりました。

そして深夜0時半、懇意にしていた住職夫婦が様子見に来てくれたとほぼ同時刻に産まれたのです。
ところが、30分、1時間経っても赤ん坊の泣き声は聞こえないし、先生からは何の知らせもないので不吉な予感が走りました。
そこへ先生から『急ぎ保健所に行って酸素ボンベを2本借りてきて来て下さい』と慌てた様子で告げられたので急ぎ保健所まで車を走らせました。
その車中で、坊さんも来ているし万が一の時は?などとよからぬ思いを巡らしながらボンベを借りて来ました。

それから間もなくして呼ばれたので診察室に入ったところ、先生が赤ん坊を逆さに吊して背中をピタピタと叩いたり、酸素マスクをつけた小さな胸に何本もの注射を打ったりしていたのでいたたまれない気持ちで祈っておりましたが、10数分、必至に処置を施した結果危機を脱し、漸くか細い泣き声を発したので、助かった!~と心の中で叫びました。

先生から「体重4,300㌘、臍の緒が頸部に二重に捲きついており、仮死産でした。でも、もう大丈夫です。お母さんも良く頑張りましたよ~!」と、安堵の顔で説明してくれたあのときの先生の顔とご恩は決して忘れることは出来ません。
因みに、母子手帳には「第2度仮死、蘇生、酸素吸入」と記載してあり、1週間後の退院日の日記には、分娩費49,100円と記してありますので隔世の感を禁じ得ません。
その二女は臍の緒が巻き付いていたせいか軽度の斜頸がみられたので、約1年間、嫌がる頭を押さえつけながら両頸の筋肉のマッサージを毎日続けた結果、後遺症も皆無で今は小2、小6の2女の母親となり大阪に居住しております。

昭和47年9月、任期を終えて離島した以後、定年を迎え、そして5年間の嘱託を終えるまで都内勤務を全うすることが出来ました。
4月から始まったテレビ放映の「日本縦断こころ旅」をきっかけに、3回にわたり三宅島の想い出を辿ってきましたが、あまりにも私的な場面が多かったことをお詫びします。【H28.4.23埼玉:守夫】

下記URL(三宅島警察署HP)をクリックして下さい。
表示された画面の最上段・中央部のタイトル『三宅島警察署』の真下にある『赤色の5個の枠』をクリックすると、三宅島や御蔵島等の情報が表示されます。
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/1/miyakejima/
 

【写真】(左)昭和45~6年ごろ『少年剣道教室』を開いていた時の集合写真(本人提供)。
(右)三宅島に咲いている『ハイビスカス』=インターネットに載っている写真をパソコン画面に拡大して、デジタルカメラで接写してみました。
写真上でクリックすると拡大します。

      
  
三宅島は周囲38キロのほぼ円形の島であることを追記し、島での勤務内容については省略しますが、昭和40年3月の初任給は16,000円、4年後の昭和44年9月、三宅島着任時の基本給の明細には、33,978円とあります。

当時の相場からして決して高くはありませんが、島には娯楽施設が何もなく、たまに、やき鳥屋で一杯飲むくらいでしたから無駄遣いするところもなかったのです。
かと言って、その分貯蓄もできませんでしたが、本土と比較して物価はかなり高かったです。
その理由は、競争相手の店が少ない。台風が接近したり、特に冬場は海がシケると船が着岸出来なくて引き返すことも多々あり、その分運賃が嵩むなどいろんな事情が重なっているようでした。

島の生活で特筆すべきひとつに飲料水の確保が挙げられます。
元々、島は火山土のため貯水効果が得られないために、湧き水が出るところが限られておりました。
ですから、飲料水確保のためどこの家庭にも住宅の敷地内に雨水を貯めるコンクリート製の貯水槽が設置してありました。

日照りが続くとストックが危うくなるので飲料水専用として使い、風呂や洗濯には、太古の火口湖から各家庭に簡易水道が引かれていましたが、この水は酸性が強いため石鹸を使っても泡が立たず、風呂上がりでもサッパリ感が得られませんでした。

長雨が続くようなときは天水風呂に入ることもあり、泡はジャブジャブたつし大袈裟に言えば温泉に入ったようなサッパリした湯上がり気分に浸ったものです。
貯水槽は、年に1回程度槽の内側の壁や底の大掃除をしますが、水面にはボーフラが湧き、底には泥土とともにミミズやネズミの死骸などが沈んでいることもあり、自然の摂理に翻弄されたことが蘇っております。

赴任した翌年の昭和45年3月、妻は出産のため千葉の実家に里帰りしました。
ところが、1ヶ月過ぎても2ヶ月経っても何の兆候も現れず、ヤキモキしながら5月も終わりに近づいたころようやく長女が生まれました。
その3ヶ月間、晩メシだけは近くの民宿で食べていましたが、朝昼は、当時、女優の松山容子が宣伝していたインスタントの「ボンカレー」を暖めてご飯の上にかけて食べるのが日課となっていました。

 
  
そのようななか、当時の自分にしては贅沢品でしたが、ラジカセがたまらなく欲しくなったので、島で唯一の電気屋で1ヶ月の給料の半分以上をはたいて買いました。
これと言った使い途があったわけではありませんが、受け持ち区の老人クラブでのカラオケ大会や、自分の歌の練習の吹き込みなどそこそこ活用しました。
なかでも、今は一男二女の母親となった45歳になる、当時2歳前後の長女の歌や、片言の会話などがカセットテープに残っており、貴重な思い出の一品となっています。

【追記】 本日(4月15日)漸く退院することができました。励ましのことばなどいただきありがとうございました。
私ごとを長々と書くことにためらいを感じておりますが、今、自分史を手がけているのでその1ページに加えようと思い、敢えて書き留めることにしました。
その3は、近々に書きたいと思います。 【H28.4.15埼玉:守夫】

【写真】本人の若かりし頃の写真を除き、三宅島の全景をはじめ、昭和を代表するインスタントカレーやラジカセ等の3枚の写真はインターネットから借用しました。
写真上でクリックすると少しだけ拡大します。【ブログ管理人】



4月から、NHK番組のBSプレミアムで、俳優:火野正平、主役の「日本縦断こころ旅」が再開されました。
これまで5年間で九州各地を含み、504日、9775キロ走破したそうです。
6年目の4月からは東京をスタートして、神奈川⇨甲信越東北6県を巡り、北海道を目指す14日週の旅になるとか! 旅のはじまりは、伊豆七島のひとつ、三宅島の大久保浜海水浴場からのスタートでした。

大久保浜海水浴場と言えば、昭和44年9月、結婚半年で赴任し、3年間勤務した思い出多き島であり、あちこちのロケーションで懐かしい場所が随所で映ったので、大変感激しながら観ました。
それを機に、三宅島の思い出を辿ってみようと思い、日記、ネット検索や記憶を頼りにまとめてみました。

三宅島は、東京竹芝桟橋から南海上180キロに位置し、連絡船で6時間を要する火山の島で、ダイビング、釣り、バードウイッチングには憧れの島と言われています。
私が着任した当時の全人口は、4千数百人だったと思いますが、2000年6月の大噴火により全島避難勧告が出され、5年後の避難解除後は徐々に帰島が始まったものの 、平成28年2月現在の人口は、2,461人と紹介されており、着任した当初と比較して半減しているようです。

三宅島の特産品として、ムロアジやトビウオを干物にした『くさや』が挙げられます。
この『くさや』は、江戸時代に塩年貢とともに献上品とされていたとの記録があります。
魚を保存するために塩水に浸して干物にする訳ですが、当時から塩は貴重品とされていたので、塩水が減った分だけ塩を継ぎ足してきたために、魚のエキスが出て徐々に味の濃い独特なタレになってきたそうです。

『くさや』の干物は独特な臭いがするので、好き嫌いがあるものの私的には大好物ですが、高価な土産品となっているので、今は滅多に口にすることが出来ません。
とは言え、物産展に行けば自由に手に入るし、元気でさえいればうまいものを食べにどこだって行けますが、入院中の身ではどうにもなりません。

川窪君も体調を崩してしばし寝込んでいたとのこと、彼は今までもあちこちの温泉旅館(ホテル)や観光スポットを紹介していますが、私はその都度グーグルマップを開いてそこまでの行程や途中にある『道の駅』などを確認しながら、自分もそこに行ったような気分を味わっているところです。

『三宅島の思い出その1』はここまでにしますが、近々、退院の目処がついたら『その2』を書きたいと思います。【H28.4.11埼玉:守夫】

【写真】三宅島の大久保浜海水浴場と三宅島特産品の『くさや』

    
  
昨日は、東日本大震災発生からちょうど5年目を迎えましたが、3月10日現在の警察庁統計によると、死亡者15,894人、行方不明者2,561人、震災後の傷病悪化による、震災関連死者数3,410人(岩手、宮城、福島の3県)、仮設住宅および他県への避難者を含め、約17万4千人が未だ不自由な避難生活を強いられているそうです。
因みに、平成22年3月、小林市に編入されたときの野尻町の人口が、8,174人とありますから、数字から見てもいかに大勢の人が犠牲になったかが想像されます。  

さて、昨日、匿名さんからも投稿がありましたが、大震災発生の前日、たまたま偶然会の旅行で能登半島を観光中に発生した忘れることの出来ない大惨事でした。
その当日、岩手県陸前高田市の所謂、津波に耐えた奇跡の1本松ならぬ、偶然会のシンボルとしてきた「こだわりの松」も上半分が枯れ始めたため、根っこから50センチくらい残してやむなく切断しました。
幸いに、この他に兄妹が2本残っているので元気に育って欲しいと願っているところです。

余談ですが、震災発生の前日がたまたま私の65歳の誕生日と重なったため、出席者が密かに誕生祝いのサプライズを用意してくれて大変感激したことがよみがえってきたので、昨日はそのときのビデオに2~3時間見入りました。
そして昨年は、予期せぬ宣告を受け、69歳の誕生日は病室でした。
そのときは、絶望感から、果たして70の声を聞けるだろうかと、悶々とした日々が続きましたが、家族をはじめ、同級生からの励ましや治療の甲斐あって、10ケ月後には経過観察となり、1年間命が長らえたことで絶望から希望へと意識が変わってきたのです。

昨年10月の古希同窓会では大病を患ったり、持病を押して参加した人もおり、励まし、励まされながら元気を貰ってきました。
ところが本年に入り、やや数値に変化が現れたため、不本意ながら2月末まで入院となりましたが、希望の光は萎えるどころか、いっそう光輝いております。
そして一昨日(10日)、遅ればせながら自宅で無事に古希を迎えることができ、うれしさのあまり久しぶりに美酒に酔いました。

今日はとりとめのない文章になりましたが、2月半ばに春山君が法事で帰省したとき、20日会が大勢で歓迎してくれたと喜んでおりました。
同級生のみなさ~ん、いつもいろんな面で元気をいただき本当にありがとうございま~す! 【H28.3.12 埼玉:守夫】

 

1週間くらい前の朝10時ころのことです。
自宅の加入電話に聞き憶えのない声で.....「もしもしナオキだけど、カバンを電車に置き忘れたまま電車を下りちゃって、携帯も一緒に入ってたんだよ。だから今、公衆からかけてるんだけど、交番に届けたからそっちに電話が入ると思うから頼むよ…!」と一方的に喋るのです。
そこで私の「おまえは、何ナオキだよ」との問いに「ヨシムラだよ、疑わないでよ」などと言うのです。

私は第一声から、俗に言うオレオレ詐欺だと思っていたので騙されたふりをして聞いておりました。
以下、相手を『バカ』自分を『当方』と称して会話のやりとりを簡潔にまとめると次のようになります。

バカ:GPSって知ってる~?
当方:そんなの分かんないよ!
バカ:オレの携帯に電話かけると、カバンを拾った者がどこに居るかが分かってしまうのでカバンを処分するかもしれない。だから電話かけないでね!
当方:どこの交番に届けたんだよ!
バカ:池袋の東口だよ!今、急いでいるからあと30分くらいしてからまた電話するから!......
と言って電話は切れました。それから30分後に前とは違った声で次のような電話がありました。
バカ:もしもし、私はJR東日本落とし物センターの〇〇と言いますが、落とし物が見つかりまして…!
当方:あゝそうですか!どちらの駅ですか?…との問いかけに、4~5秒の沈黙があり電話は切れました。

これはいわゆる劇場型詐欺といわれるもので「こいつは乗ってこないな」と思って電話を切ったのだと思います。
この続きがどのようなシナリオになっていたのか知りたいものです。
最後まで騙されたふりが通じたことを前提にシナリオの続きを自分なりに推測してみました。

あいつらは、カバンが見つかったことを担保にして、「カバンは見つかったんだけど、今すぐに取りに行けないので、取り敢えず〇〇円を振り込んでくれないか。
カバンを取ってきたらすぐに返すから…云々!」と続いたのではと想像を巡らしました。
多分、名簿屋から高校か大学の卒業名簿を手に入れて電話してきたと思います。
あいつらの魂胆は、乗ってきたら振り込ませるか、部下を向かわせるかのいずれかだった思います。

私はやつらの要求を聞いてから警察に連絡しようと思ったのですが、女房殿に言わせると「お父さんがあまりにも落ち着き過ぎて話すから相手が乗ってこなかったんだよ」と注意され、幸か不幸か今回の劇場型詐欺は未遂に終わってしまいました。
いずれにせよ、何百万円もの要求は必ず詐欺であることを念頭に、うろたえないで、相手との話が終わったら必ず息子なり、誰かに連絡することを怠らないように気をつけましょう。それにしても、年寄りは大金を持っているものだとうらやましくも思う今日この頃です。

【写真】イラストと写真は、NHKと警視庁のホームページから借用したものです。【H28.2.7 埼玉:守夫】



松の内に浅草演芸ホールの顔見せ興行に出かけました。
顔見世とは、本来、新規の歌舞伎役者の顔ぶれが行う最初の興行を言うそうですが、その日は落語協会主催の顔見せということで、朝9時から夜9時まで一部から四部まで入れ替えなしです。

5分~10分の持ち時間で落語、漫才、曲芸…等々が入れ替わり立ち替わり総勢150人くらいの出演でしたが、さすがに、最後までは見れませんでした。
それぞれの持ち時間が短いのでやや物足りない感じはしますが、一杯飲みながらコンビニの弁当を広げて居眠りしながらの1日は、暇人にとっては最適の空間でした。  

さて、明日は成人の日ですが、今年の新成人は121万人で、昨年比マイナス5万人とか、我々世代の、昭和20年(酉年)生まれの人が成人式を迎えたときは140万人との統計があります。
私はそのときはふる里を離れていたので、どのような成人式であったかは知る由もありませんが、はるか半世紀前になるんですね。

古賀君も孫の成人について書いていましたが、孫を思うじいさんばあさんの気持ちはみんな同じだな~!としみじみ感じて読みました。
わが家の大学2年の初孫も今年成人なので気持ちばかりのお祝いを送ったところ、翌日、成人式用のスーツを買ったといって弾んだ声で電話がありました。
僅かでも年金からの支出はこたえますが、孫が喜んでくれるとやはりジイ~バア~は嬉しいものです。
ブログ『サキヒットベー♪』を介しての情報交換、今年もよろしくお願いします。

【追記】 パソコンの『ディスククリーンアップ』を実施したので快適に作業が出来るようになりました。川窪君ありがとう。
川野君から暮れに退院したよと電話があり、1ケ月半くらいの入院だったそうですが元気でした。
昨日、古賀君から「どげなふや~」と電話がありました。月末の検査結果によっては再入院の可能性もありますが、数値が下がっていることを願っているところです。 【H28.1.10埼玉:守夫】



執行猶予について今更説明することもありませんが、確認のため簡記しますと、『懲役1年執行猶予3年』の判決が言い渡されたとします。
執行猶予期間中おとなしくしておけば結果的にお咎めなしとなりますが、逆にその期間中に別な罪を犯した場合は執行猶予が取り消されて収監されます。
執行猶予が付くかどうかは細かな条件があり、裁判所の判断によりますが、執行猶予の可否は本人にとって最も気になることであり、その人が大黒柱であれば家族にとっても死活問題ですからね。  

さて、なぜこのようなかたぐるしい前置きを書いたかというと、今、自分が似たような立場に置かされていると感じているからです。
というのは、同窓会直前の検査では経過良好につき帰省も出来たし、帰宅してからの検査でも『好ましい状態なので経過観察にしましょう』と告げられたので、ホッとしながらこのままおとなしくしていてくれと日々願っていました。

ところが、先月、今年最後の検査で芳しくない数値が示され、年が明けてからの検査で再入院の可能性が出てきたのです。
検査結果を聞くまでの不安な気持ちは誰でも同じだと思いますが、今回も本年2月、はじめて病名を告げられたときと同じような気持ちで医者の説明に聞き入り、まさしく、執行猶予が取り消されたような心境でした。

しかしながら、時が経つにつれ、いつかはこのような病変も覚悟していましたので、今は『なるようにしかならない』と諦めの境地でおります。

年の終わりに湿っぽい話になりましたが、この1年間ブログを通じて、社会問題や病気に関すること、パソコンのノウハウ、旅行、趣味…等々、幅広くいろんな情報を得られたことに感謝します。
みなさん、良い年をお迎えください。

【追記】 この記事を正人君に送信する直前にブログを開いたところ、追記として過去の記事が見られるようになっていたので、ほんの一部ですが懐かしい記事をしばらく読みふけりました。
後日、ゆったりした気持ちでじっくり読みたいと思います。正人君ありがとう。 【H27.12.30埼玉:守夫】

【写真】 今回の古希同窓会のついでに、初めて訪れた『高千穂峡』です。クリックすると拡大できます。



母と暮らせば!杉原千畝!どちらも観たい映画であるが、海難1890は勧めもあり優先して観た。
内容は既に紹介されているので書かないが、感じたことを少し述べてみたい。
一言で言って、この映画は国境を越えた人間の真心に触れた思いがして熱い感動を覚えた。
 
映画が終わりに近づき、配役やスタッフ、協賛、後援と言った固有名詞がテロップで流れ出すと、自然と観客が席を立ちだす光景はいつものことであり自分でもそうである。
ところが、今回はそのテロップを最後まで見ていたところ、突如として、現:トルコ国のエルドアン大統領が映し出された。
そして、この大統領から合作映画に対する称賛と、125年前のトルコ軍艦遭難発生時の日本(和歌山県串本町)の対応に対しお礼のことばが述べられたのである。

翻って、遭難事故から95年後(昭和60年)のイラン×イラク戦争時、救援を求めてイランの国際空港に殺到した在留邦人215名が出発ロビーで危機的状況にあった。
当時の日本国政府は、自衛隊の海外派遣は法的に不可の原則があり救援機を飛ばすことが出来なかったのである。
そのような窮状をトルコ大使館に訴えたところ、125年前の恩に報いるためと、2機の救援機が派遣され、それに分乗してトルコ経由で無事日本に帰国できたということである。

そこで感じたことであるが、エルドアン大統領に続いて、阿倍総理とまでは言わないが、せめて外務大臣くらいの立場の要人がこの合作映画に何らかのコメントを贈ってもいいのではないかと思ったのは自分の思い過ごしか? 【H27.12.24埼玉:守夫】

【野尻中学校の正面玄関:拡大出来ます】

12月も半ばに入り、古稀の同窓会から早や2ケ月が過ぎました。
その時の様子や集合写真、DVDの話など、出席出来なかった人を含め、電話やメールで盛んにやりとりが行われているようです。
我々の同窓会に関しては、正人君が過去から現在までの実施状況を写真付きでブログに載せてくれましたが、大変な作業だったろうと思います。
過去の出来事などはそれを開けば、時系列に何らかのヒントが隠れているようで、大抵の疑問は晴れると思われるのでありがたいことです。  

さて、その同級生のある女性に関してですが、12月8日付、正人君の記事は衝撃的で、あまりにも感傷的な描写に大変な感銘を受けました。
そこには、今から8年前に開設されたブログがどれだけ彼女の励みになったことかが綴られており、活字を追うごとに感銘を受け、感動しました。

その人の名前はさておき『昔の乙女』さんについて私のファイルを辿ったところ、ブログ開設間もない頃のコメントに、次のような一文が寄せられていました。(抜粋)

>>『ブログを立ち上げていただき、ありがとうございます。なつかしい名前や話に感激しております。』
『同窓会にもなかなか出席する事も出来なくて、寂しい思いをしておりましたが、ブログのお陰で故郷のこと、懐かしい顔などが思い出されて、嬉しく毎日見ております。』
『これからも、友達の輪がどんどん広がりますよう願っております。』
『ブログを開くのが毎日楽しみです.....』
その外にも、平成14年に仕事を辞めてからは、介護老人ホームのボランティアをしていること。中学時代にY先生にもらった「杉の子」の話や、野尻の○○子さんと電話で話したこと。孫が高校と中学に上がったこと.....<< 
等々、生活感の滲む文章が投稿されていました。

この頃の文面には、闘病生活を送っていることなどは、一言も書かれていません。
きっと、我々同級生に余計な心配を掛けたくないという、彼女なりの心遣いがあったのでしょう。
少なからず同級生のブログ記事が、彼女に生きる勇気と希望を与えていたことに疑う余地はありません。

ところが、残念なことにブログ開設の翌年に他界されたとか、彼女が辿ったそれまでの経緯をブログに公開してくれたので、正人君には、よくぞ紹介してくれたと称賛のメールを送った次第です。
他にもブログを介して励まされている人がいることは言わずもがなですが、私には、過去の情報を含めどれだけ自分の役に立ったことか計り知れないものがあるのです。
ですから、正人君がパソコンのキーボードを叩ける限り続けて欲しいと願っております。
そして古稀の同窓会を機に、吉田君がみんなのコメントをプリントして参加者に送付してくれたので、なお一層ブログ仲間が増えるものと期待しております。 【H27.12.12埼玉:守夫】

【追記】 鵜戸原のT-優君が亡くなったそうですが、また一人減りましたね、淋しいことです。ご冥福をお祈りします。

   
同窓会の通知が届いたのは5月26日でした。
そのころの私は予期せぬ病魔に襲われ、肉体的、精神的に滅入っている時期でもありました。
療養を続けながら9月に入り、担当医から検査結果も順調とのデータを示されたので留保していた同窓会への出席を決断し、自分の病状と容姿についてブログ投稿するに至りました。
投稿した理由は、当日、自分の哀れな容姿をいちいち説明することの煩わしさから逃れるためでした。

それからと言うものは、憑きものが落ちたような爽やかな気分になり、日に日に同窓会へと心がかきたてられていったのです。  
そして、あれほど待ち焦がれていた同窓会もアッ!という間に終わってしまいました。
容姿については自分が気にするほど他人は気にしていないことが分かり、ホッとした次第です。
今はビデオ編集しながら50年、60年ぶりに再会した同級生との会話がよみがえってきて、未だに余韻を引きずっているところです。  

さて、その同窓会についてですが、体調により出席出来なかった川窪君が、あたかも自分がその場にいたかの如く、少ない情報を基に当日の一部始終をリアルに、しかも端的にブログで表現してくれました。
そして、各人から返信されたコメントも大変興味深く読ませてもらいました。
なかでも、幹事の総括にもありましたが、今回は仮装行列、風船割り、フォークダンス…等々、すべてに抱腹絶倒、今まで以上に余興が盛り上がり、真に思い出深い同窓会になりました。

ここまで盛り上がった裏には、個人からいただいた記念品をはじめ、横幕や生け花、ジャンケン、ビンゴの景品など、など、会場設営を含めた裏方の支えがあったからと、20日会はじめ関係者に対し心から感謝しております。  
既に2週間が過ぎましたが、帰宅後、電話したりもらったりのなかで、「楽しかったね~♪」「今度いつかね~!」などの声が一様に聞かれました。  

【追記】当日の様子は、DVDに編集中ですが、編集が終わった時点で吉田君に送付することになっております。
出席出来なかった人、その他からも欲しいとの連絡が来ておりますが、ダビング等については吉田君と話を詰める予定です。【H27.10.28埼玉:守夫】



10月に入りました。
初秋の彼岸花は、古賀君のアケビとともに時期的に稲刈りや昔の運動会、修学旅行を連想させ郷愁をそそられるものです。
川窪君が、彼岸花の特性や長短交えた諸説に見事な写真を載せてくれましたが、大塚原公園や萩ノ茶屋の彼岸花は9月20日ころが見ごろだったようです。
花名のとおり、例年、彼岸の中日前後に見頃を迎えているようですが、同窓会で見られないのはちょっぴり残念です。

今回の同窓会の参加者も60名に達したとか、吉田君から嬉しい悲鳴が聞こえてきましたが、20日会のみなさんの受け入れの大変さはもとより、遠くの同級生との再会が待ち遠しいかぎりです。  

さて、気分を良くしたあとにいきなり暗い話で申し訳ありません。
ステージ3Aの告知をうけたときの心情は先に延べたとおり、告知から入院までの1週間は地に足が着かない毎日でした。
大袈裟ですが、二度と帰って来れないかもしれないという気持ちにかられ、身の回りの不要品の始末、土地建物の権利証、生命保険証書の確認…等々、遺言こそ書かなかったものの、僅かな資産ですがおおまかな話を妻としました。

3人の子供はそれぞれ所帯をもっており、かねがね、親の資産は当てにするなと言ってあるのでさほど気にしておりませんが、万一のとき、今後、妻が一人で何もかもやっていけるだろうかと思うと不安だけが募り、焦りにも似た落ち着きのない日が続きました。  

そのような不安な気持ちに苛まれた8ケ月後の今は、担当医から喜ばしい検査結果の説明を聞くこととなり、胸のつかえがとれて清々しい気分にさえなっております。
これまでの治療効果については、抗がん剤が確実にがん細胞を叩いてくれているようです。

3月2日入院時、横隔膜の後ろにあった1センチ大の影は、6月の検査では5ミリ程度に縮小しており、9月の検査では更に縮小し、楊枝で数カ所を突っついたくらいになっておりました。
2カ所に転移していたリンパ節の腫大は当初と比較してほぼ変化なしでしたが、ひとつの目安とされている腫瘍マーカーが当初、1,200以上あった数値も9月の検査では基準値81未満に対し、61まで下がっていました。  

順調な結果をもたらしている主たる要因は、抗がん剤の点滴治療だと思いますが、その他にもパイロゲン、プロポリス、黒ニンニク、ミドリムシ、ヤクルト400…などなど、身体にいいと言われているサプリメントはもらったものを含め、何でも飲んだり食べたりしていますので、果たして何がどんな作用で功を奏しているのかは医者も分からないと言っております。
ただ、言えることは、名の通ったサプリは保険薬と違って驚くほど値が張るだけに、毎月の医療費とともに年金生活者の家計を圧迫していることだけは避けられません。

以上のとおり、今のところ順調なようですが、小細胞がんは転移も再発もし易いと聞いているので、このままおとなしく横ばい状態を持続してくれることを願っているところです。
今までも我慢を強いるような副作用はさほどありませんが、抗がん剤の点滴後2週間くらいで白血球が減少しはじめ、免疫が下がりウイルスに感染し易いので人ゴミを避け、刺身や野菜などの生ものは控え、アルコールはほどほどにと指示されています。
だけど、ちょうど同窓会のころには白血球も回復し、免疫力もUPしてくる時期なので最高のコンディションで臨めるものと楽しみにしております。  
8月13日現在で、関東からの出席は3名の予定でしたが、春山君から出席の電話がありましたので、川野君、八男君、小倉さん、私の4名です。
よろしくお願いしま~す。

【追記】今朝の残日録でS-ヤエ子さんの訃報に接し大変ショックを受けました!。
2年前にすい臓がんで亡くなられたとか、仲間が一人減り淋しい限りです。 5年前の同窓会に寄せられた各人からの近況をまとめたブログに、ヤエ子さんは、『現在、中学2年生~生後10ヶ月の孫が居ますが、可愛くて可愛くて仕方ありません。【S・ヤエ子】』
…原文 と記して同窓会の返事を出されていました。ご冥福をお祈り致します。

【写真】萩の茶屋の彼岸花:平成23年9月27日撮影。【H27.10.1埼玉:守夫】



ガンの発症ついて話す前に、サキヒットベー♪愛読者のみなさんに謝っておかなければならないことがあります。
それは、今年、4月23日付『肺炎で入院中でしたが退院しました。』とブログ投稿しましたが、実はその前の2月に『間質性肺炎』が悪化し、その検査の過程で肺ガンが見つかり、担当医から「小細胞がんで3ヶ所に転移あり、リンパ節腫大はステージ3A」と宣告されたのです。

その時の心境は推して知るべしですが、ガンに対するこれまでの概念は『宣告=死』と、受け止めてきただけに大変なショックでした。  
そして、3月2日入院となり、抗がん剤の点滴が始まったのです。
入院して間もなく同級生の一人から御機嫌伺いのメールをもらったので「肺炎で入院中」と返信したところ、短期間のうちに同級生が知るところとなり、激励のメールや電話を多数いただきました。

その時は既に抗がん剤の点滴を開始していましたが、それぞれには、「肺炎で入院中であるが数値も良くなっているので間もなく退院できそうです」と応えてきたのです。
そして、20日間の入院を経て3月21日退院することが出来ました。    

退院後は、4月から外来で毎月3日連続で抗がん剤の点滴が始まりました。
以前から書いているとおり、自分には間質性肺炎の他、心筋梗塞の既往症があるため、小細胞がんに対しては手術はもとより、放射線治療も不可能ということで抗がん剤適用しか選択肢がなく、その薬も極めて限定的で数少ないなかから医者が選定してくれました。
抗がん剤の副作用として、食欲不振、吐き気、口内炎、めまい..…等々の説明はありましたが、おかげで体調に変化を来すような副作用は現れませんでした。

ところが、抗がん剤特有の脱毛はどうにもならず、髪の毛、眉毛が抜け落ち、頭のてっ辺はほとんどなくなり、昨年11月の神戸同窓会時のイメージはすっかりなくなりました。
入浴の際、抜けた髪の毛が徐々に排水溝に吸い込まれていくのをうらめしく眺めながら、先日、7回目の治療を終え、次回は10月半ば8回目の点滴治療を再開する予定です。    

自分としては肺炎で通すつもりでいましたが、同窓会と言う大きな壁が隔たり、通知が届いてからは出欠について、その都度心の葛藤があり、みんなには「出席するつもり」と生半可な返事で応えてきただけに、半年過ぎた今、今日に至るまでウソを通してきたことへの罪悪感さえ覚えるようになりました。  

Y-勝子さんからは、仕事柄か私の病状を見透かしたかの如く、体力や免疫UPに効果があるというサプリメントが届いたり、再会を楽しみにしていると電話やメールでの励ましも多数いただきました。

そのようななか、同窓会への出席についてさらに自分の背中を押してくれたのは、70年間人間をやってきたことへの神からの勲章と前向きに捉え、古稀というめでたい記念すべき同窓会でもあり、黄昏れた姿ですが皆の前に晒す決意をした次第です。  

今までの内容はこのブログで初めて打ち明けることであり、同級生の誰一人としてこの話をしたことはありませんでした。
これまで私の病状を案じてくださった方々に対し、このブログを通じてお許し願いたく思います。
そしてこの8ケ月間、ガンとの闘いを通じて受けた精神的なダメージや、家族のことを含め、今後の自分の生き方を見つめ直しながら、ささやかでもガンに対する知識が身についた様な気がしますので機会を捉えて思いつくままに投稿したいと思います。  

よもや、私と同じ病気で闘っている人はいないと思いますが、体調不良でどうしても出席が叶わない同僚もいるようです。
K・伸一郎君も大病に打ち勝って今では体力回復に専念してしおり、今度の同窓会は是非故郷で再会を果たそうと約束しましたので、本日「出席」として投函しました。
その日まであと20数日となりましたが、体調管理を第一に考えて楽しみにしております。
20日会のみなさん!受け入れは大変ですが宜しくお願いしま~す。♪ 

【写真】:たっぱけの味噌漬けです。【H27.9.19埼玉:守夫】



サキヒットベー♪1,200号達成おめでとうございます。
ここまで8年8ケ月もの間、間断なく続けてきてくれたK-正人君に感謝するとともに、 パソコンの基礎知識、家庭菜園のノウハウ、あちこちの旅の思い出、さらには病気に関するあれこれ…等々、内容豊富なお宝満載のヒットベー♪に感謝・感謝です。

Kー秀之君の残日録は、日記の代わりに書いていると言っていましたが、もう、何号(*1)まで書いたでしょうね。 
特に野菜作りには昨年の生育状況を知るうえで、とても参考になっていることでしょう。
書くのは億劫だけど、常時開いて見ているという隠れたファンも大勢いるようです。  

先日、関心はあるけどパソコンは苦手と言う人に、参考にと過去の記事を十数枚プリントして送ったところ「昔を思い出して懐かしい人に電話をしたところ大変楽しい話が出来て嬉しかった。ありがとう!」と電話をもらいました。
このようにして一人ずつでもファンが増えれば、同級生の絆もなお一層深まるものと思います。

さて、昨年7月23日、“ 祝 ” 1,100号達成!のメッセージを投稿してから早や1年が経ちました。
そのとき『健康寿命とは』介護に頼ることなく、心身ともに健康で暮らすことができる期間のことを言い、平均寿命から衰弱・病気・痴呆などによる介護期間を差し引いた年齢を健康寿命と言うと書ました。  

昨年公表された厚生省の統計(H22年)によれば、健康寿命の年齢が、男70.42歳、女73.62歳ということですから、まさに、私たちの年齢に相応するわけです。
私などは、介護こそ世話にはなっていないものの、過去に心筋梗塞を患ってから血液サラサラを飲み続けており、今年に入り持病の間質性肺炎で入院するなど、既に健康寿命からは除外された一人と言っても過言ではありません。  

10月には、20日会主催による “ 古稀を祝う同窓会 ” の通知も届いております.
因みに、関東近辺の名簿から男6名、女7名に意思確認したところ、Mー八男君(〇)、 O-和さん(〇)、Hー安弘君(△)が参加予定、他は所要のため欠席ということでした。  
私、個人的には9月初めの定期検査の結果が判明するまで返事を出しあぐねているところですが、その時点で、今のような体調維持が保てていれば是非帰りたいと念願しているところです。
M-弘人君、K-伸一郎君も同様の悩みを抱えているようでした。【H27.8.12埼玉:守夫】

(*1)同僚ブログ『秀之の残日録』は、今朝の時点で189号となっています。こちらのブログも宜しくお願いします。【ブログ管理者】

【写真は拡大できます】

サキヒットベーで『過去に載った、○○君(さん)が書いたあの文章はいつごろだったかな~?』と思って探すのに、私の今までの検索方法は、右側のカレンダーで大体の年月から日毎にクリックしながら目的の文章に辿り着くと言う、ストレスを伴った極めて原始的な探し方でした。  
これからは、過去に遡るには各地区ごとに分類してくれたので、簡単かつ、スピーディーに、しかもストレスを感じないで目的地にたどり着けるようになったので大変ありがたく思っています。
 
そこで、先月(6月16日付)掲載されたペンネーム『匿ちゃん』投稿の、高齢者は「キョウヨウ」と「キョウイク」が必要?…の記事に遡りますが、この内容には親しみを感じながら共感を得ました。
何故かと言うと……同級生の中にも、NHKラジオ深夜便のファンはいると思いますが、昨年11月、深夜便の「明日へのことば」と言う番組で、福岡在住の " 助産師・内田さん ” が「小さなおせっかいのすすめ」と題して「キョウヨウ」と「キョウイク」について話した要旨がメモの走り書きに、実感として素直に受け入れられた…云々、と残っていました。
その要旨は、『匿ちゃん』の内容とほぼ同じですから書きませんが、健康寿命について言いたいことがマッチングしたのです。  
  
助産師・内田さんは講演活動を通じて「生まれてきて、生き続けることは奇跡の連続である」と、健康で豊かな人生を送るために大切なことを伝えているそうです。  
興味のある方は下記のURLを参照して下さい。
http://www.cocolotus.com/item/1705
因みに、本年6月6日、我がふる里、小林市細野『JAこばやし3階会議場』でも講演が行われたそうですが、もしかして受講された方がいたりして…..!

【暇人の雑感あれこれ!】
 ◆昨年10月の神戸同窓会に参加する予定だった『大分の旧姓、浜田さん』が都合で参加出来なかったので、そのときのビデオと平成22年10月(65歳)の同窓会でみんなから寄せられたコメントを、哲ちゃんの了解の許、正人君がブログに載せてくれたのでそれをプリントして送ったところ、「中学時代の一人ひとりの顔を思い浮かべながら懐かしく読みました…」と言って喜んでくれました。 
 
◆4~5日前に大阪の行雄君から「サキヒットベーを見れるようになったよ」と電話がありました。
ブログ仲間が増えたことは大変嬉しいことです。
そして、私から種を送った「なた豆のツルが、3mくらいにの伸び、鞘が5~6cmになったよ」と声高に話してくれました。  
ブログへの投稿はまだまだ先になりそうです。 
 
◆添付の写真は、わが家のなた豆ですが、ツルは、まだ1.5mしかないので、サヤができるまでにはまだまだ日にちがかかりそうです。
その奥に小玉スイカが4本植わっていますが、スイカの採りどきには非常に神経をつかうものですね。
懐かしい “ たっばけの味噌漬け ” が早く食べた~~~い♪(^o^) 【H27.7.8  埼玉:守夫】

  【写真上でクリックすると拡大できます。】

あなたの年金!大丈夫”?  
このところ年金記録の流出問題で、K-正人君が流出の経緯や、日本年金機構の杜撰な業務管理、職員の親方日の丸的感覚、等々について縷々解説を交えながら、事実関係や防衛策を紹介しています。

他に収入の当てのない自分にとっては死活問題であり、自己防衛には各人が万全を期したいものです。

6月20日付の新聞に『8千万円詐欺被害、行員防ぐ』の見出しで、弁護士や証券社員を名乗る男から「あなたの年金情報が漏れているので資産を安全なところに移した方がいい」と複数回電話があったので、銀行で現金を下ろそうとした女性に行員が声をかけ、未然に防止したという事案がありました。  
そして翌日には、神奈川県二宮町の70代の女性が、息子を装った男から現金を持ってくるよう電話で呼び出され、東京大田区の駅に行ったところ、さらにタクシーに乗って別の場所に行くよう指示され、1千5百万円をだまし取られたという。
まさに誘拐事件の手口とも似た事案が載っていました。  

このような『なりすまし』や『上京型』の犯罪について、NHK番組で『年金記録の個人情報流失の実態と被害防止策』について解説していました。
そのときの説明で「口座番号を変更するには本人確認が必要なはずです。…!」と解説していました。
私はこのとき、なぜ『はず』なんだ!本人確認が必要である!と断言すべきではないか、と憤りさえ感じました。
『…はず!とか、…思う!』というのは、希望的観測であって、聞く方にとっては自信がない答えとしか受け取れないのです。

どこの会社でも上司への報告で『…はずです!とか、…と思います!』などの報告は、良しとしなかったでしょう。
天下のNHKですから、事前に銀行で確認するべきだと感じた次第です。もっとも、推測を前提とした話なら別ですけどね……!
年を取るとこんな些細なことまで気にするようになってきました!困ったものです。  

写真は、わが家の家庭菜園です。トウモロコシ、落花生、里芋、ナス、キュウリ、西瓜、などが植わっています。
向かって左側に地主さんが家を建てたため、半分(約60坪)になってしまいました。
間もなく、トウモロコシが採りごろです。 【H27.6.25埼玉:守夫】
 

         
本題に入る前に!先月、肺炎を患い入院しましたが、その節は同級生から励ましのメールや電話をいただきありがとうございました。
退院後は、外来で定期的に検査を受けることになり、今のところ数値も安定しているようでホッとしているところです。

ブログは入院中もタブレットで毎日見ておりましたが、自らの投稿は遠のいており、ようやくその気になりましたので今日は久しぶりの投稿です。  
先日(22日)、川窪君のパソコンがウイルスにやられた!と書いていましたが、この警告がなければ自分でも開くところでした。
「転ばぬ先の杖」ありがとうございます。

皇居が『ご恒心教総本山』!警視庁が『恒心教警視庁サティアン』!広島の原爆ドームが核実験場…云々と表記されており、悪質ないたずらとは言え全く迷惑な話です。
そして、総理官邸の屋上には、ドローンが飛来するなど、テロを連想させるような行為で薄気味悪いですね。  

さて、古賀君の農作業に関する記事はどんどん更新され、毎回楽しみと同時に自分にとっては大変参考になっています。
そんななか、大阪のN-行雄君から「たっばけの種を送ってくれ」、と電話がありました。
幸い、昨年の種を保存していたので10数個送りました。
うまく発芽してくれればいいのですが、今後、彼との情報のやりとりも楽しみになりました。 

    

それから、東日本大震災から4年を経過しましたが、復旧・復興も思うようには進んでいないようです。
一方、「こだわりの松」は写真のとおり、胸の高さ(120センチ)まで生長しました。
地植えにすればもっと生長も早いと思いますが、まだ落ち着き先が決まらないところです。【H27.4.24 埼玉:守夫】

       
  
先日、東京新聞の暮らし面に『 ” 60歳からの川柳 " 2014年入賞作決まる 』 とあった。
そのうちの一句
この辺りが 腰かと妻を マッサージ
この句の解説を読んで納得して夫婦で笑った。
作者(69歳)は、3人の子供も巣立ち、妻と二人暮らし。
腰が痛い、肩が痛いという妻をうつ伏せに寝かせ、見よう見まねでマッサージをするが、どこが腰でどこからが背中なのか、余分な肉が付いていてわからない!.....とユーモアを交えて解説していた。  

もう一句
ポイントが つけば忘れぬ 診察券
複数の病院に通うようになり、いつの間にか診察券が増え、その日の病院の診察券を忘れた人の様子を見てふと連想したそうだ。

化粧済み 忘れてさらに 上塗りを
説明は要らない面白い句である。

ついでに、この川柳とは別な記事であるが、今週水曜日の暮らし欄に『つれあいにもの申す』という面白い夫婦の会話が載っていた。
夫:「俺もこの道一筋に励んできたから黄綬褒章くらい授かりたいもんだな!」
妻:「そのうち認知症がもらえるわよ!」.....だって。

 
因みに、黄綬褒章とは、農業、商業、工業等の業務に精励し、他の模範となるような技術や事績を有する方に授与される褒章だそうである。
掲載された作品のなかには、他人ごとではすまされない深刻な問題を面白く皮肉った内容もあり、古稀間近な我が身を再認識している今日このごろである。

 

さて、添付の写真は、昨年11月、同窓会で明石海峡大橋を渡って淡路島で写した一コマである。
この橋は、昭和20年12月9日、304名の死者を出した連絡船の沈没事故をきっかけに架橋運動が盛り上がり、昭和30年の調査開始から実に43年の歳月を経て、平成10年4月5日供用開始された、全長3,911mの世界最長の吊り橋だそうだ。 

S-政男君と両方から挟んで写した、赤、青、黄3色で丸く包まれたケーブルは原寸大の模型であるが、直径は112cmあり、全長4,073mのケーブルで写真の右奥に架かっている橋桁を吊っている、と説明書きがあった。  
想像にも及ばないとてつもない日本の技術と、設計から架橋工事に携わった全ての関係者に対し、心から尊敬の念を抱かずにはおれなかった。
そして、素晴らしいロケーションまで案内してくれた、関西地区の関係者のみなさんに感謝、感謝である。 【H27.1.31 埼玉・守夫】

 
 
昨日、大阪から二女が孫娘二人を連れて里帰りした。
盆暮れには顔を見せているが、孫はいつ来てもうれしいし可愛いものである。
私には、44歳の長女を頭に、二女、長男の3人の子供を授かり、いずれも別所帯である。外孫は5人いるが、まだ内孫には恵まれないでいる。
その孫たちが正月には家族で来るので、私たち夫婦を含め都合14人になり、女房殿は4~5日てんてこ舞いである。
まず、大掃除からはじまり、布団を天日干しして家族別に敷かなければならないので汗だくである。
次に、お飾りと雑煮用の餅つき、そしておせち料理の材料買い出し……等々、毎年のことながら忙しい年末年始である。

特に女の人は、子供の里帰りや泊まり客を迎えることになると、一番先に布団のことが気になるらしい。  
“孫は来て良し帰って良し”という例えもあるが、自分には家族で野尻に里帰りしたことは1~2回だけしか記憶が無い。
それも、長女、二女が幼稚園、長男が2歳くらいのときである。
過ぎたこととはいえ、子供たちが小学校、中学校時代に顔見せに帰れば、おやじお袋も喜んでくれただろうにと悔やまれてならない。
もっとも、当時は仕事一筋で時間的、経済的にも無理であったから実現できなかったことである。

里がえりにちなんで、私は次の曲がメロディー、歌詞ともに好きな歌である。 曲名:里がえり 歌手:嶋三喜夫。
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%B6%8B%E4%B8%89%E5%96%9C%E5%A4%AB&tid=47be2b9c1783929a0dc8c1ac92f8a2fc&ei=UTF-8&rkf=2

平成19年1月19日、川窪君が開設した『サキヒットベー♪』も、今年7月に1100号を達成しマル8年を経過した。
古賀君の『残日録』と共に内容的にも大変参考になることが多く、再読することも多々あり、ありがたいことである。

今年は、8月の豪雨による広島の土砂災害、9月の御嶽山噴火、11月に発生した震度6弱の長野県北部地震、阿蘇山噴火…等々、予知が難しい自然災害が多い年であった。来年こそは平穏な年であって欲しいと願わずにはいられない。
そして来年はいよいよ古稀を迎えることになるが、願わくば、我々年寄りにもアベノミクスの効果が及んでくれることを期待したいものである。

【追記】大阪同窓会も盛大に終わり、来年は故郷・野尻で古稀のお祝いを計画してくれるとのこと、楽しみです。
関係者のみなさんお世話になります。 そして…同級生のみなさ~ん!良い年をお迎えください。 【H26.12.30埼玉・守夫】

【写真】大塚原公園・忠霊塔の頂上から、南南東(跡瀬方向)、南西(猿瀬方向)、西(小林方向)を望む。故郷の山々は朝靄に煙る水墨画のようだった!『2010.10.10. 6時15分撮影』 
写真上でクリックして拡大してご覧ください。拡大した写真上のカーソルの先に(+)があるときは、再度クリックすると更に拡大します。(+)のあとは(-)に変わります。(-)をクリックすると1回目の拡大写真に戻ります。お試し下さい。【管理人】



 
戦後、農地改革が行われました。その目的は、ザックリ言って一世帯が所有できる農地を家族が自ら耕作できる面積に制限し、タダ同然で小作人に譲り渡すことにより、地主と小作農との格差を縮めることにあったようです。
その結果、小作農のほとんどが自作農となり、農民の暮らしは大幅に改善されたということです。
 

それとは直接関係ありませんが、先日孫たちとサツマイモを掘りました。
その畑も写真の手前半分以上を地主さんに返す時が来ました。
今まで10数年に亘り、新鮮な食材の恩恵を受けてきた畑ですが、その半分に家を建てることになったのです。

 
孫とのイモ掘りやスイカの収穫などが縮小されるので少しばかり淋しくなりますが、草取り、肥料代や防虫費用、労力...等々、自分の歳を考えれば60坪くらいが丁度いいのかもしれません。  

さて、先月27日付で川窪君が、「我が家に架空請求がやって来た!」と題して不正請求の記事を紹介してくれましたが、茶飲み話など話題提供に大変参考になりました。

序でに多分、私のメールアドレスを『完璧』と賞賛してくれたものと思いますが、設定理由は、以前、迷惑メールが頻繁に入っていたので、アヒルの会という社交ダンスのサークルに入ったのをきっかけに、アヒルと♪ルンバを引っかけて設定したものです。
と言っても意味不明…?かも!  

それから、14日付で『秀之の残日録』の画面が変わりましたね。
私のPCでは100%以下(画面編集割合)だと行間が詰まって、やや見えにくいですが、『画面編集変更(RSS)』の「RSS 0.91」「RSS 1.0」「RSS 2.0」のいずれをクリックしても画面一杯に拡大され、非常に見易くなりました。         【H26.10.17 埼玉・守夫】 
 
【お知らせ】上記で埼玉・守夫君が紹介しているように、同僚ブログ『秀之の残日録』の画面が変更になりました。この画面が好評のようですので、当ブログ『サキヒットベー♪』も同じ画面に変更しました。
画面一杯に広げてご覧になりたい場合は、ブログコントロール(画面右側)の『画面編集変更(RSS)』(上記紹介)をクリックすると画面の編集方法が変わります。一度お試し下さい。【K-正人】

 
 

『たばこ健康寿命を縮める!』(H26.7.29東京新聞朝刊)との見出しに惹かれ目を通したところ、その要旨は次のとおりでした。  
貝原益軒の「養生訓」に…人は自ら病を求め、天から与えられた寿命を縮めている。
食生活、運動、睡眠、気持ちの持ち方、薬との付き合い方のほか、たばこ、酒の害にも触れている。

益軒が活躍した江戸時代には既にタバコは広く普及しており、めまい、咳などへの害を延べた後、「習えば癖になり、むさぼりて後には止めがたし」と常習性とともに、お金がかかり家族にも迷惑を及ぼす。……とまで言及しています。

そして翌日(30日)、JTが調査した2014年の喫煙者率調査結果が発表されました。
要約すると、……男女を合わせた喫煙者率は前年に比べ1.2ポイント減の19.7%ではじめて2割を切ったそうです。……中略。
喫煙者率を地域別でみると、最も高かったのは東北で35.3%、女性は北海道で17.2%となっています。
喫煙率が下がった理由は、消費税増税&健康意識の高まり…!などが影響しているのではと分析しています。
 

調査は1965年から年1回5月に行っており、全国の20歳以上の男女約3万2千人を対象にアンケート方式で実施、
喫煙者率が最も高かったのは1966年で男女合わせて49.4%だったそうです。  
私も現役時代、多いときはハイライトを1日2~3箱吸っていたこともあり、それが引き金となって職場検診で間質性肺炎と診断され、程なくして心筋梗塞により緊急入院する羽目になったのです。

それ以来、血液サラサラの薬を飲みながら2ケ月に1回ずつ病院を違えて定期的に診察を受けている現状です。
禁煙して11年になりますが、今現在、通院中ということは、健康寿命の域はとっくに過ぎ去っているという、こ・と・か!……な?  

さて、ブログ『秀之の残日録』に、古賀君のお孫さんが全国技能競技大会で2位に入賞したと書いてありました。
まずはおめでとうございます。

詳細をネット検索したところ、7月29日山形県で開催された、厚労省主催「第9回若年者ものづくり競技大会」だったようです。
詳細は下記URLをご参照下さい。
この中の『⑤電子回路組立て部門』で2位に入賞されたようです。
http://www.javada.or.jp/jyakunen20/09/09_nyuusyousya.pdf
 
同級生のお孫さんということで、自分の事のように嬉しく思っています。
古賀君のお孫さんも、さらにレベルアップして技能五輪全国大会、そして国際大会に挑戦して日本のものづくりの未来を担う技術者になって欲しいと願っています。頼もしい孫を授かった秀之じいちゃん!!こぴっと応援してくださいよ!……(*^_^*)

川窪君も鉄骨を使って大がかりな改装工事をやったことがありますが、私も日曜大工は代表的な趣味のひとつです。
 テレビ朝日系列で放映されている『大改造!劇的ビフォーアフター』は欠かさず楽しく見ています。

【追伸】 川窪君の今朝のゴーヤは実に立派です。我が家の今年はみどりのカーテンどころか、未だ1個も収穫出来ていません。
追肥、摘芯、水やりなども広い意味のものづくりにはいるのでは…?   【H26.8.2 埼玉:守夫】

   
サキヒットベー♪1100号達成おめでとうございます。
2007年(H19)1月29日の日記に、『川窪君から電話があり、「貴方からもらった今年の年賀状の内容をブログに載せていいか?」 と了解を求めて来た……』 云々の記載があります。
まさしく、サキヒットベーが誕生した7年前のことです。

開設以来、「昔の乙女」「天邪鬼」「恋する乙女」「ブルーカラー」「文化堂釣り情報」「プーケット滞在記」…等々、様々なペンネームや、イニシャルでの投稿記事が貴重な思い出としてファイルされています。

 
なぜ貴重かと言いますと、第一号発行から3年後の2010年4月にはプロバイダーが変更されたため、それまでの記事は自分のパソコンから見れなくなったのです。
私はそれまでのほとんどをプリントアウトしていたから、ありがたいことに今でも懐かしく読み返すことが出来るのです。
 

開設当初は、インターネットに対する知識が希薄だったため、個人名や顔写真、文脈などプライバシーに関する内容に至るまであまり気にしないで投稿していたので、その都度管理者が影響のない程度に補正して公開してくれました。 (管理者に感謝…今はそれなりに気をつかいながら書くようにしています。)  

さて、みなさんも健康寿命という言葉を耳にしたことがあると思いますが、2~日前のNHKラジオ番組で、『人生ラスト10年問題』と題してメディカル・ウォーキングのすすめついて話しておりましたが、その内容は概ね次のとおりです。
健康寿命とは、介護に頼ることなく、心身ともに健康で暮らすことができる期間のことを言うそうですが、平均寿命から衰弱・病気・痴呆などによる介護期間を差し引いた年齢を健康寿命と呼んでいるそうです。

平成22年、厚労省がはじめて算出した健康寿命の年齢は、男70.42歳、女73.62歳という数値です。  
人間は下半身から衰えはじめ、一般的には、
1)歩けなくなる。
2)食べられなくなる。
3)認知症がはじまる。.…
だからまず歩きましょう!ということでした。
因みに、2013年厚労省が調査した健康寿命の都道府県別ランキングは、 1位:静岡県 2位:愛知県 3位:群馬県 4位:茨城県 5位:宮崎県 となっており、ベスト5に我が故郷、宮崎県も入っておりました。  

同級生のみんなが健康体でいられるのも時間の問題ですが、この統計を見るかぎり平均値を超えるのも夢ではないかもしれませんね。
今までも健康問題に関してブログにも数多く登場していますが、古賀君も、川窪君も元の体調に快復しつつあるようだし、自分でも今の体力を平均的な健康寿命年齢まで維持すべく、1ヶ月前から水中ウォークやスイミングに挑戦中です。

【追伸】 H-靖子さんの青春の思い出の地では感動が得られなかったようですが.....。私も今年3月、孫たちと三保の松原に行きましたが、荒天のため残念ながら雲の上にうっすらと富士山頂らしきシルエットが見えただけでした。 山形の旅、どこまで羽が飛んでいくのか続編が楽しみです。【H26.7.23埼玉・守夫】

額縁入り写真は、埼玉・守夫君がパソコンで作成してくれました。
    
【写真はクリックしてご覧ください】
台風8号の進路が気になるところです。
今後の進路予想を古賀君が、おもしろく分かりやすく解説してくれましたが、古賀君の予想に反して西に進路を変えてくれればと願っているところです。

先週の日曜日『五反田ゆうぽうと』で開催された「第34回在京野尻会」に出席してきました。
今年は、来賓として小林市副市長前田喜輝氏、野尻総合支所長 長瀬茂弘氏、地域整備課課長 濱田浩氏、地域振興課課長 永井健一氏の4名が、特産のマンゴーや焼酎の霧島(赤・白・黒)を持参して上京されました。4名から生の野尻弁でふる里の近況が紹介され、純粋な野尻弁を聞きながらしばし郷愁に浸ることができました。
 
   
 
今回は40数名の出席がありましたが、最近は若い人の参加が少なく、参加者も徐々に減少傾向にあるようです。
そんな中、意外な人と話が出来て嬉しく思いました。
先ず、同じテーブルに座った70代前半の上品な女性は、佐土原(旧姓)ウメちゃんの姉さんであることがわかり、田舎にまつわるいろんな昔話が矢継ぎ早に出てきました。

次に、来賓の濱田浩氏からお酌を受けました。その方は、弓削盛夫君の甥に当たるということでした。そこで話が進むうちに、吉田君、永迫宏君、上田佳夫君など次々に同級生の名前が挙がり、各々の現況など多面に亘り情報交換が出来ました。

因みに、7月初めに大阪から「ミニ同窓会」の誘いがありましたが、野尻会と重なったため残念ながらパスしました。
この秋(11月頃)関西で集まりを計画中のようですが、今回の出席者の近況など是非聞きたいものです。

【追伸】川窪君の術後の容体は順調に快復しているようですが、唯一、楽しみにしているゴルフ、そしてアルコールを制限されているとのこと気の毒です。ゴルフもさることながら、『だれやめ』だけでも1日も早く解禁になることを願っております。   【H26.7.10 埼玉・守夫】

【術後の経過報告】ご心配戴き有難う御座います。先日(8日)退院後3回目の検診で、主治医から総て「OK」が出ました。
昨日から、本格的にゴルフの練習を再開し、450球打って来ました。
早速、今月末(28日&31日)の月例競技に復帰・参戦することにしています。『ダレヤメ』は自粛しています。【K-正人】




2月7日から『秀之の残日録』が一向に更新されないので、体調でも崩したのかと気にしていたところ、パソコンが不調である旨のKー正人君の代筆ブログ、そして秀之君からの電話によりホッとした次第です。

『残日録』の復活とともに、靖子さんの紀州路 ! 正人君の北陸路など、続編が楽しみです。

片や、当方の話題は大した内容ではありませんが、本年2月中旬に関東甲信越地方を襲った、観測史上45年ぶりの豪雪により損壊した我が家のカーポートが漸く完成しました。
被害発生の翌日発注したのですが、予期せぬ被害により、業者の在庫と製品加工及び工事請負業者ともに対応出来ず、3~4ヶ月待ちとのことでした。

待つこと3ヶ月、漸く材料が入荷し写真のとおり2日がかりで完成しましたが、請求金額は、撤去費、工事費込みで30万円弱でした。

幸いにも市から災害助成金として請求金額の5パーセントの補助があり、災害保険にも加入していたので、10数万円の持ち出しですみましたが、年金生活者にとっては予想外の手痛い出費となりました。

K-正人君から「材料を買って穴を掘って柱をセメントで固めれば自分でも出来るよ。」と助言があったので一時はその気になったのですが、やはりビビリました。

因みに、門扉、花壇及び外周のフェンスは、以前に自分で施工したものですが、今回の工事を機に、入り口を30センチ広げたので車の出し入れもスムーズになりました。

4月でプー歴4年目に入りましたが、リサイクルショップで大工道具や農機具などを買い漁り、日曜大工、百姓、そしてパソコン等、無駄な出費を抑えながらプー太郎に見合った時間を費やしている毎日です。
                           【H26.5.30 埼玉・守夫】

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